若年寄
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若年寄(わかどしより)とは、
- 江戸幕府の職名のこと。本ページで詳述。
- 年配の者に見える人物のこと。
概要[編集]
定員は3人から5人。主に1万石から2万石級の譜代大名が任命され、月番で政務を行い、江戸城に勤務する番士や諸役人、職人などを支配し、老中に次ぐ幕府の重鎮として重責の身であった。老中が幕府の公儀面に当たったのに対し、徳川氏の家政を担当した職務である。
第3代征夷大将軍・徳川家光の時代である寛永10年(1633年)に設置された六人衆が起源とされているが、第2代征夷大将軍である徳川秀忠の側近である井上正就・永井尚政ら近侍の三臣らがその起源だったとする説も存在する。制度的には寛永11年(1634年)から寛永14年(1638年)の一連の職務規定により成立する。慶安2年(1649年)に一時中絶してその職務は老中に吸収された。しかし第4代征夷大将軍・徳川家綱の時代である寛文2年(1662年)に復活した。
職名に関しては成立当初から年寄衆(老中)と比べ、奏者番の経験を経た若年の大名が任命されたことから、若年寄と名付けられたという。
著名な若年寄に、第10代征夷大将軍・徳川家治の時代に田沼時代で栄華を極めた老中・田沼意次の嫡男である田沼意知、鬼平犯科帳などで火付盗賊改の長谷川平蔵の理解者として、たびたび登場する京極高久などがいる。
江戸幕府の若年寄就任者[編集]
徳川家光時代[編集]
- 松平信綱(1633年 - 1635年)
- 阿部忠秋(1633年 - 1635年)
- 堀田正盛(1633年 - 1635年)
- 阿部重次(1633年 - 1638年)
- 太田資宗(1633年 - 1638年)
- 三浦正次(1633年 - 1639年)
- 土井利隆(1635年 - 1638年)
- 酒井忠朝(1635年 - 1638年)
- 朽木稙綱(1635年 - 1649年)
徳川家綱時代[編集]
- 久世広之(1662年 - 1663年)
- 土屋数直(1662年 - 1665年)
- 土井利房(1663年 - 1679年)
- 永井尚庸(1665年 - 1670年)
- 堀田正俊(1670年 - 1679年)
- 松平信興(1679年 - 1682年)
- 石川乗政(1679年 - 1682年)
徳川綱吉時代[編集]
- 堀田正英(1681年 - 1685年)
- 稲葉正休(1682年 - 1684年)
- 秋元喬知(1682年 - 1699年)
- 内藤重頼(1684年 - 1685年)
- 松平忠周(1685年)
- 太田資直(1685年 - 1686年)
- 稲垣重定(1685年 - 1689年)
- 大久保忠増(1687年 - 1688年)
- 三浦明敬(1689年)
- 山内豊明(1689年)
- 松平信孝(1689年 - 1690年)
- 内藤政親(1690年 - 1694年)
- 加藤明英(1690年 - 1711年)
- 松平正久(1694年 - 1696年)
- 米倉昌尹(1696年 - 1699年)
- 本多正永(1696年 - 1704年)
- 井上正岑(1699年 - 1705年)
- 稲垣重富(1699年 - 1709年)
- 永井直敬(1704年 - 1711年)
- 久世重之(1705年 - 1713年)
- 大久保教寛(1706年 - 1723年)
徳川家宣・家継時代[編集]
徳川吉宗時代[編集]
- 石川総茂(1717年 - 1725年)
- 松平乗賢(1723年 - 1735年)
- 水野忠定(1723年 - 1748年)
- 本多忠統(1725年 - 1750年)
- 太田資晴(1728年 - 1734年)
- 小出英貞(1732年 - 1744年)
- 西尾忠尚(1734年 - 1745年)
- 板倉勝清(1735年 - 1760年)
- 戸田氏房(1744年 - 1758年)
徳川家重時代[編集]
- 加納久通(1745年 - 1748年)
- 堀直旧(1745年 - 1748年)
- 三浦義理(1745年 - 1749年)
- 堀田正陳(1745年 - 1751年)
- 秋元凉朝(1747年)
- 小堀政峯(1748年 - 1751年、1756年 - 1760年)
- 小出英持(1748年 - 1767年)
- 松平忠恒(1748年 - 1768年)
- 酒井忠休(1749年 - 1761年、1761年 - 1787年)
- 大岡忠光(1754年 - 1756年)
- 本多忠英(1758年)
- 水野忠見(1758年 - 1775年)
徳川家治時代[編集]
- 鳥居忠意(1760年 - 1761年、1762年 - 1781年)
- 酒井忠香(1765年 - 1788年)
- 加納久堅(1767年 - 1786年)
- 水野忠友(1768年 - 1777年)
- 松平忠順(1775年 - 1783年)
- 米倉昌晴(1777年 - 1785年)
- 太田資愛(1781年 - 1789年)
- 井伊直朗(1781年 - 1812年)
- 田沼意知(1783年 - 1784年)
- 安藤信成(1784年 - 1793年)
- 松平忠福(1785年 - 1788年)
徳川家斉時代[編集]
- 本多忠籌(1787年 - 1788年)
- 青山幸完(1788年 - 1791年)
- 京極高久(1788年 - 1808年)
- 堀田正敦(1790年 - 1832年)
- 立花種周(1793年 - 1805年)
- 加納久周(1793年 - 1797年)
- 青山忠裕(1796年 - 1800年)
- 松平乗保(1798年 - 1806年)
- 植村家長(1800年 - 1825年)
- 小笠原貞温(1805年 - 1822年)
- 水野忠成(1806年 - 1812年)
- 水野忠韶(1808年 - 1828年)
- 有馬誉純(1812年 - 1819年)
- 京極高備(1812年 - 1828年)
- 内藤信敦(1817年 - 1822年)
- 田沼意正(1819年 - 1825年)
- 森川俊知(1822年 - 1838年)
- 増山正寧(1822年 - 1842年)
- 林忠英(1825年 - 1841年)
- 永井尚佐(1827年 - 1839年)
- 堀親寚(1828年 - 1841年)
- 小笠原長貴(1829年 - 1840年)
- 本多助賢(1832年 - 1841年)
- 堀田正衡(1836年 - 1843年)
- 大岡忠固(1836年 - 1852年)
徳川家慶時代[編集]
- 松平忠恵(1838年 - 1854年)
- 水野忠貫(1839年 - 1841年)
- 内藤頼寧(1840年 - 1841年)
- 遠藤胤統(1841年 - 1851年)
- 本庄道貫(1841年 - 1858年)
- 本多忠徳(1841年 - 1860年)
- 酒井忠毗(1843年 - 1862年、1863年、1864年 - 1865年)
- 鳥居忠挙(1851年 - 1857年)
- 森川俊民(1852年 - 1855年)
徳川家定・家茂時代[編集]
- 本郷泰固(1857年 - 1858年)
- 牧野康哉(1858年 - 1860年)
- 稲垣太篤(1858年 - 1860年)
- 安藤信睦(1858年 - 1860年)
- 諏訪忠誠(1860年 - 1861年、1862年 - 1864年)
- 堀之敏(1860年 - 1862年)
- 水野忠精(1860年 - 1862年)
- 遠山友詳(1861年 - 1862年、1864年 - 1867年)
- 加納久徴(1861年 - 1862年)
- 田沼意尊(1861年 - 1866年)
- 小笠原長行(1862年)
- 稲葉正巳(1862年 - 1864年、1865年 - 1866年)
- 平岡道弘(1862年 - 1867年)
- 有馬道純(1863年)
- 松平乗謨(1863年 - 1864年、1864年、1865年 - 1866年)
- 秋月種樹(1863年 - 1864年、1867年)
- 立花種恭(1863年 - 1868年)
- 本多忠紀(1864年、1866年 - 1867年)
- 土岐頼之(1864年 - 1865年)
- 増山正修(1865年 - 1866年)
徳川慶喜時代[編集]
- 保科正益(1866年 - 1867年)
- 松平正質(1866年 - 1867年)
- 京極高富(1866年 - 1868年)
- 大関増裕(1866年 - 1868年)
- 浅野氏祐(1867年)
- 戸田忠至(1867年)
- 川勝広運(1867年 - 1868年)
- 石川総管(1867年 - 1868年)
- 永井尚志(1867年 - 1868年)
- 平山敬忠(1867年 - 1868年)
- 永井尚服(1867年 - 1868年)
- 松平近説(1867年 - 1868年)
- 竹中重固(1867年 - 1868年)
- 堀直虎(1867年 - 1868年)
- 塚原昌義(1867年 - 1868年)
- 大久保忠寛(1868年)
- 服部常純(1868年)
- 今川範叙(1868年)
- 跡部良弼(1868年)
- 河津祐邦(1868年)
- 向山一履(1868年)