野々村迅政
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野々村 迅政 ののむら としまさ | |||||||||||||||||||||||
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野々村 迅政(ののむら としまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将で土佐藩士。豊臣氏、後に土佐山内家の家臣。
生涯[編集]
父は織田信長の側近として仕えて活躍した野々村正成で、迅政が13歳の時に本能寺の変で信長に殉じた[1]。
迅政は豊臣秀吉に仕えたが、後に遠江掛川城主・山内一豊に450石で仕えている。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは一豊に従って参戦し、美濃岐阜城攻めで活躍した。戦後に一豊が土佐藩主になると奉行に任命されて知行は10倍近くの4000石に加増され、さらに山内姓まで与えられた。滝山一揆の討伐で活躍している[1]。
慶長19年(1614年)5月22日、あるいは5月21日(6月28日)に死去した。享年45[1]。