野々村迅政

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野々村 迅政
ののむら としまさ
改名 右衛門九郎。因幡守。内記
性別 男性
時代 安土桃山時代江戸時代前期
生年月日 元亀元年(1570年
死没日 慶長19年5月22日1614年6月29日
国籍 日本国旗.png日本
職業 土佐藩・家臣
武器  
口癖  
名ゼリフ  
家族構成 父:野々村正成

野々村 迅政(ののむら としまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将土佐藩士。豊臣氏、後に土佐山内家の家臣。

生涯[編集]

父は織田信長の側近として仕えて活躍した野々村正成で、迅政が13歳の時に本能寺の変で信長に殉じた[1]

迅政は豊臣秀吉に仕えたが、後に遠江掛川城主・山内一豊に450石で仕えている。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは一豊に従って参戦し、美濃岐阜城攻めで活躍した。戦後に一豊が土佐藩主になると奉行に任命されて知行は10倍近くの4000石に加増され、さらに山内姓まで与えられた。滝山一揆の討伐で活躍している[1]

慶長19年(1614年)5月22日、あるいは5月21日6月28日)に死去した。享年45[1]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b c 小和田「山内一豊のすべて」P223

参考文献[編集]