野々村正成
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野々村 正成 ののむら まさなり | |||||||||||||||||||||||
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野々村 正成(ののむら まさなり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣で、織田信長の側近を務めた。
生涯[編集]
通称は三十郎[1]。信長に仕え、天正3年(1575年)5月の長篠の戦いの際には鉄砲奉行を務めた。天正6年(1578年)の有岡城の戦いにも参加し、茨木城の在番を務めている[1]。
天正9年(1581年)4月11日に長谷川秀一と共に信長から近江国内における寺領関係の調整に関する恩賞として所領を与えられている。天正10年(1582年)2月、紀伊雑賀の検使を務めた(『信長公記』)。
天正10年(1582年)6月の本能寺の変において、二条御所で信長の嫡男・信忠に殉じた[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年。 。