蒲原城
ナビゲーションに移動
検索に移動
蒲原城(かんばらじょう)とは、現在の静岡県静岡市清水区蒲原に存在した日本の城である。
概要[編集]
新蒲原駅の西北1.5キロ、標高148メートルの城山にあった城で、現在残るのは山城跡である。
室町時代に築城されたとされ、頂上に本丸が置かれ、階段状に2の丸、3の丸、善福寺曲輪を付属させ、石塁や空掘、彫切で固めた大規模な城だったという。駿河国東部の押さえでは重要な城であり、今川氏の属城であったが、今川義元が桶狭間の戦いで戦死し、武田信玄の駿河侵攻で今川氏が滅亡すると、後北条氏の属城となる。この際、城主には北条早雲の末子・北条幻庵の息子である北条綱重・北条長順の兄弟が任命された。武田信玄はこの城を奪うため、永禄2年(1569年)12月に攻撃し、12月4日に信玄は岩淵の宿を焼き払い、12月6日に蒲原城に火を放った。このため、北条綱重以下、城兵700人余りは城外に出て武田軍に突撃を敢行し、ことごとく討死したという(『北条記』『甲陽軍鑑』)。
その後、この城は武田氏から徳川氏の属城となり、その時に廃城とされたという。
現在は土塁、石塁などの遺構のほか、本丸跡に城跡碑、供養碑などが建てられているのみである。