葛野藩
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葛野藩(くずのはん/かずらのはん)とは、江戸時代中期に越前国丹生郡にごく短期間存在した藩である。藩主家は家門・親藩の松平氏(徳川氏)。石高は3万石から4万石。藩庁は葛野陣屋。現在の福井県丹生郡越前町(旧朝日町)に存在した。
概要[編集]
元禄10年(1697年)、和歌山藩の第2代藩主・徳川光貞の4男・松平頼方は、江戸幕府の第5代征夷大将軍・徳川綱吉から越前丹生郡下糸生以下13村、坂井郡針原以下32村の合計3万石の所領を与えられ、ここに葛野藩が立藩した。陣屋は下糸生村葛野に置かれた。ただし、表高は3万石であったが実高は1万石程度だったとする説も存在する。また、頼方は当時はまだ年少だったので、和歌山藩から家臣が派遣されて支配が行われていた。
和歌山藩では宝永2年(1705年)、第3代藩主で頼方の長兄である徳川綱教が死去し、その跡を頼方のすぐ上の兄である徳川頼職が継承することになった。頼職は和歌山藩を継承する前は高森藩3万石を与えられており、和歌山藩を継承するにあたって高森藩領は他に分与されることになってそのうちの1万石は頼方の葛野領に取り込まれたので、これにより葛野藩は4万石となる。
ところが、同年のうちに父の光貞、そして藩主となったばかりの頼職までもが相次いで死去する異常事態となる。頼職に継嗣は無かったので頼方が養子となって和歌山藩を継承することになり、これにより葛野藩は廃藩となって収公され、葛野陣屋も破却となった。
なお、この頼方がこれから11年後の享保元年(1716年)に第8代将軍となる徳川吉宗である。
歴代藩主[編集]
- 松平(紀州)家