高森藩
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高森藩(たかもりはん)は、江戸時代中期のごくわずかな期間に越前国に存在した藩である。別名を丹生藩(にゅうはん)。藩庁は丹生陣屋。石高は3万石。藩主家は松平氏(徳川氏)。現在の福井県越前市(旧武生市)に存在した。
藩史[編集]
元禄10年(1697年)3月、紀州藩主徳川光貞の3男・松平頼職が、第5代征夷大将軍の徳川綱吉から3万石を与えられたことにより立藩された。高森に陣屋を構えている。
宝永2年(1705年)6月、本家を継いでいた長兄の徳川綱教が嗣子なく死去したため、弟である頼職が養子として和歌山藩の家督を継ぐこととなり、3万石のうち1万石は頼職の弟で同じ丹生郡内に所領(葛野藩)を持っていた頼方(のちの徳川吉宗)に加増され、残る2万石は高森藩として遠州浜松藩主・松平資俊の次男の松平宗長に与えられた。
宝永6年(1709年)12月、宗長の養子である松平宗胡が跡を継いだが、宗胡が正徳元年(1711年)11月に嗣子なく死去して無嗣断絶し、高森藩は廃藩となった。その後、再度立藩することはなく、明和年間に西尾藩領の一部となって幕末まで続いた。
歴代藩主[編集]
松平(紀州)家[編集]
- 松平頼職(よりもと)従四位下。左近衛権少将。
松平(本庄)家[編集]
2万石 譜代