長谷川宣以

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長谷川 宣以(はせがわ のぶため、延享2年(1745年) - 寛政7年5月19日1795年6月26日))は、江戸時代旗本番方である火付盗賊改役を務めた。池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』の主人公鬼平」として知られる。通称は「長谷川 平蔵」(はせがわ へいぞう)である。

略歴[編集]

赤坂筑地中之町(現・港区赤坂)に従五位下備中守となった長谷川宣雄の子として生まれる。5歳の時、筑地湊町鉄砲洲(現・中央区湊)の屋敷に移る。1773年安永2年)、父の逝去により家督を継ぎ、小普請となる。若い頃は「本所の銕」とよばれるほどの放蕩であった。幼名は銕三郎、あるいは銕次郎。

1787年天明7年)に火附盗賊改役に42歳で抜擢された。1789年寛政元年)、無宿人対策として人足寄場の創設を提言した。同年4月、関八州を荒らしまわっていた大盗の神道(真刀・神稲)徳次郎一味を捕縛し、功績を挙げた。1790年(寛政2年)、石川島(現・中央区佃)に日本初の無宿人の更生施設である人足寄場を設置し、取扱役を命じられた。同年、人足寄場設置の功績に対し時服2領、黄金3枚を賜る。1792年(寛政4年)、人足寄場取扱を免じられ、黄金5枚を賜る。

1795年(寛政7年)5月16日に病に倒れ、火附盗賊改を辞職し、辞職直後の同年5月19日に死去した。51歳没。

屋敷[編集]

1764年明和元年)、本所三之橋通(現・菊川駅近く)に屋敷替えをした。菊川の屋敷は、1846年弘化3年)に『遠山の金さん』で知られる遠山景元と屋敷替えとなった。

小説[編集]

池波正太郎の『鬼平犯科帳』などで長谷川平蔵、通称「鬼平」として有名となる[1]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]