米沢隆

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米沢 隆(米澤 隆、よねざわ たかし、1940年1月28日[1]2016年6月16日)は、政治家。衆議院議員(通算9期)。民社党最後の委員長で、新進党副党首、同幹事長、民主党副代表なども歴任した。

経歴[編集]

満州国大連市生まれ[2]鹿児島県出身[3]。1958年ラ・サール高等学校卒業。1964年京都大学法学部卒業[1]。学生時代、下宿先の縁で民社党に入党[2]。京大相撲部に所属[4]。大学卒業後、旭化成工業(現・旭化成)に入社し、1年後に組合専従となる[2]。1969年全旭化成労働組合連合会(全旭連)書記長[5]。1970年の日米繊維交渉では労働代表として渡米[2]。1971年4月宮崎県議会議員に初当選[1]。1973年民社党宮崎県連合会委員長[5]

1976年12月の第34回衆議院議員総選挙に宮崎1区から民社党公認で立候補し、1993年7月の第40回総選挙まで7期連続当選。1981年2月民社党中央執行委員、地方議会対策委員長[6]。1985年4月民社党政策審議会会長[1]。1989年2月塚本三郎民社党委員長がリクルート事件で引責辞任し、永末英一委員長のもと書記長に就任[7]。1990年4月大内啓伍委員長のもとでも書記長に再任。民社党書記長として、自民党小沢一郎幹事長、公明党市川雄一書記長とともに自公民路線や1992年6月のPKO協力法成立を推進した[8][4]。1993年7月に成立した非自民7党1会派による細川内閣では、新生党の小沢代表幹事、公明党の市川書記長とともに政権運営を主導し[9]、「ワン・ワン・ライス(一・一・米)」と呼ばれた[10][11]

1994年6月民社党中央執行委員長[1]。同年12月民社党を解党し、新進党の結党に参加、副党首に就任[12]。結党前に行われた党首選挙には海部俊樹自由改革連合代表、羽田孜・新生党党首、米沢隆・民社党委員長の3人が立候補し、海部が初代党首に当選した[13]。1995年12月小沢一郎が新進党第2代党首となり、小沢の指名で幹事長に就任[14]。1996年8月新進党副党首に就任したが[1]、小選挙区制が導入された第41回総選挙で自民党の中山成彬に敗れて落選した。新進党解党後は民主党に入党。1999年7月民主党宮崎県第1区総支部長[1]。2000年6月の第42回総選挙でも中山に敗れて落選したが、2002年10月に古賀一成の自動失職(衆院福岡6区補選に立候補して落選)に伴い比例九州ブロックで繰り上げ当選した[15]。2003年10月の第43回総選挙でも中山に敗れたが、比例九州ブロックで復活当選した。2004年9月民主党副代表[16]。2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では宮崎1区で中山に敗れ、比例復活もならず落選し、政界を引退した[11]

衆議院予算委員・厚生労働委員、ゼンセン同盟(のちUIゼンセン同盟)政治顧問[1][2]民社協会初代会長(1995~2005年)[17]創憲会議代表幹事[18](代表世話人[19])なども歴任した。2010年旭日重光章を受章。

2016年6月16日、呼吸不全のため宮崎市内の病院で死去、76歳[9]

人物[編集]

ゼンセン同盟(のちUIゼンセン同盟)の組織内議員。旭化成の企業ぐるみ選挙の支援を受けた[20]

著書[編集]

  • 『年金制度の現状と課題』[5]
  • 『ソ連に搾取される東欧諸国』[5]
  • 『水をさされた持家促進』[5]
  • 『不況にあえぐ素材産業を救え』[5]
  • 『体の不自由な方の福祉予算』[5]
  • 『曲がり角を迎える自動車整備産業』[5]
  • 『東九州縦貫道の建設促進を』[5]
  • 『米沢隆の電話相談』[5](総合財政経済研究会、1986年)
  • 『土地問題への提言とQ&A』(伊藤茂坂口力菅直人共編、アイピーシー、1987年)
  • 『今こそ、政治改革の断行と国民の立場で景気対策』[5]
  • 『青雲の志遥かなり』(宮日文化情報センター、2008年)
  • 『我、忸怩たる――窮乏化する政治』(文芸社、2010年)

出典[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 プロフィール 米澤隆公式サイト
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 日本民政研究会編『国会議員総覧 1989年版』新評社、1989年
  3. 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年
  4. 4.0 4.1 (追想録)米沢隆さん(旧民社党委員長) 飾らない物言いの人情家 日本経済新聞、2016年8月19日
  5. 5.00 5.01 5.02 5.03 5.04 5.05 5.06 5.07 5.08 5.09 5.10 浜谷英博「新世紀に求められる政治家像――米沢隆と民主党--不動の政治哲学を持ち、鋭い国際感覚で外交・安保論、憲法・財政論にも主張を展開する米沢隆論」『改革者』472号、1999年11月
  6. 日本労働年鑑 第52集 1982年版 法政大学大原社会問題研究所
  7. 日本労働年鑑 第60集 1990年版 法政大学大原社会問題研究所
  8. 「社会党外しの目的も」 米沢隆元民社党書記長 PKO協力法成立秘話 日本経済新聞、2013年8月4日
  9. 9.0 9.1 旧民社党委員長の米沢隆氏が死去 日本経済新聞、2016年6月16日
  10. 岐路を迎える自公民 編集委員 西田睦美 日本経済新聞、2010年10月17日
  11. 11.0 11.1 米沢隆氏死去=旧民社党委員長、76歳 時事ドットコムニュース、2016年6月17日
  12. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「新進党」の解説 コトバンク
  13. 北岡伸一『「普通の国」へ』中央公論新社、2007年
  14. 朝日新聞社編『朝日年鑑 1996年版』朝日新聞社、1996年
  15. 「浦島太郎のようなもの」/米沢隆氏が政界復帰会見 SHIKOKU NEWS、2002年10月30日
  16. 新役員体制の顔ぶれを発表 民主党、2004年9月11日
  17. 民社協会地方議員研修会in東京 冨田忠泰・府政報告窓口、2019年11月20日
  18. 「創憲」を考えるための提言書を掲載しました 京都一区 民主党 玉置一弥オフィシャルサイト、2005年2月22日
  19. 核兵器保有の余地残す/民主・旧民社系改憲案/永田町でも話題の異常突出 しんぶん赤旗、2005年2月18日
  20. 杣正夫編著『一九七六年日本の総選挙――ロッキード選挙と共産党の敗北』国民政治研究センター、1979年

外部リンク[編集]