市川雄一
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市川 雄一(いちかわ ゆういち、昭和10年(1935年)1月25日 - 平成29年(2017年)12月8日)は、日本の政治家。公明党特別顧問。衆議院議員(9期)、公明党国会対策委員長、公明党書記長、新進党政務会長、新進党副党首、公明党副代表、公明党常任顧問などを歴任した。
来歴[編集]
神奈川県横浜市出身。早稲田大学卒業後、公明新聞記者、編集局長を経て昭和51年(1976年)の第34回衆議院議員総選挙において旧神奈川2区から初当選し、以後9期にわたって務めた。昭和61年(1986年)には公明党国対委員長、平成2年(1989年)には公明党ナンバー2の書記長となる。平成4年(1992年)の国連平和維持活動(PKO)協力法の成立には自民党・民社党と共に尽力した。
平成6年(1993年)の第40回衆議院議員総選挙後、非自民8党派による細川護煕内閣樹立では自民党を離れて新生党代表幹事に就任した小沢一郎と一・一ラインと呼ばれる太いパイプを生かして政権運営の主導役となる。その後、新進党結成に参画して政務会長や幹事長代理を歴任した。新進党が解党し、自民党政権に公明党が連立入りした後の平成15年(2003年)の第43回衆議院議員総選挙には出馬せずに引退する。
平成21年(2009年)の第45回衆議院議員総選挙で自民党が政権を失い、民主党の鳩山由紀夫による内閣が成立すると、同党幹事長であった小沢一郎との人脈を期待されて平成22年(2010年)に公明党常任顧問として党務に復帰する。平成26年(2014年)からは特別顧問となった。
平成29年(2017年)12月8日、神奈川県の病院で死去。82歳没。葬儀・告別式は近親者で済まされ、その死去は公明党によって12月14日に発表された。
役職歴[編集]
公明党(1998年 - )[編集]
- 副代表
- 常任顧問
- 名誉顧問
- 特別顧問
新党平和[編集]
- 副代表
新進党[編集]
- 政務会長
- 副党首
旧公明党( - 1994年)[編集]
- 機関紙局長
- 副書記長
- 国会対策委員長
- 書記長
創価学会[編集]
- 参謀室長
- 東海道方面参与
- 川崎総県総主事