秋山真之
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秋山 真之(あきやま さねゆき、慶応4年3月20日(1868年4月12日) - 大正7年(1918年)2月4日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。位階勲等功級は従四位勲二等功三級。勲二等旭日重光章、功三級金鵄勲章を授与された。幼名は淳五郎(じゅんごろう)。3兄は「日本騎兵の父」と云われた陸軍大将の秋山好古、次兄は朝鮮京城電気重役の岡正矣。子は4男2女。元参議院議員・大石尚子は真之の孫(二女・宜子の長女)。日露戦争において「皇国の興廃この一戦にあり」「本日天気晴朗なれども波高し」などの名言を作った名参謀として知られている[1]。
生涯[編集]
慶応4年(1868年)3月20日に伊予松山藩の藩士である秋山久敬の5男として生まれる[1]。最初は大学予備門(のちの第一高等学校)へ入学し、後に海軍兵学校に転じる[1]。明治25年(1892年)に海軍少尉となり、明治27年(1894年)に砲艦筑紫の航海士となって日清戦争に参加する[1]。明治30年(1897年)にアメリカに留学して3年後に帰国し、以後は艦隊参謀を経て海軍大学校の教官となる[1]。明治37年(1904年)からの日露戦争においては海軍大将・東郷平八郎の参謀となり、連合艦隊の作戦参謀として参加することになった[1]。日本海海戦での勝利は真之の作戦によるものとされている。戦後は諸艦の艦長を歴任し、大正3年(1914年)に軍務局長に任命され、大正6年(1917年)に海軍中将に任命された[1]。
真之は盲腸炎に早くからかかっており、常に病に苦しんでいたという[1]。大正7年(1918年)2月4日午前5時、虫垂炎のために死去した[1]。享年51[1]。
『坪井日記』において坪井九馬三はその死去を「惜しむ可し」と記している。
秋山真之を題材とする作品[編集]
- 坂の上の雲(司馬遼太郎 文春文庫全8巻)
- 日露戦争物語(江川達也 小学館ビッグコミックス)
- 秋山真之 伝説の名参謀(神川武利 PHP文庫)
- 金星のZ旗(吉岡平 ソノラマ文庫) - 死亡した秋山が火星に転生し金星へ行き活躍する。エドガー・ライス・バローズの小説金星シリーズのオマージュ作品。
秋山真之を演じた俳優[編集]
- 明智十三郎 - 新東宝映画『明治天皇と日露大戦争』
- 土屋嘉男 - 東宝映画『日本海大海戦』
- 米倉斉加年 - TBSドラマ『海は甦える』
- 横内正 - 東映映画『日本海大海戦 海ゆかば』
- 本木雅弘 - NHKドラマ『坂の上の雲』