司馬遼太郎

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司馬遼太郎(しば りょうたろう、1923年8月7日 - 1996年2月12日)は、日本の歴史作家。

人物[編集]

大阪市出身。本名・福田定一(ていいち)。遼太郎の遼の字は点が二つが正しい。大阪外国語学校蒙古語科卒。産経新聞記者となり、文化・宗教を担当する。1955年、本名で著書『名言随筆・サラリーマン』を上梓。1956年、「ペルシャの幻術師」が講談倶楽部の懸賞に当選しデビュー。司馬遼太郎という筆名は、司馬遷に遠く及ばないという意味。

忍者の恋を描いた『梟の城』で1960年、直木三十五賞を受賞。当初、霧隠才蔵を主人公とした『風神の門』などの忍者もの、土方歳三を主人公にした『燃えよ剣』など、忍者・剣豪ものを書く時代作家だっったが、『竜馬がゆく』『国盗り物語』で、坂本竜馬斎藤道三織田信長を描いて歴史作家としての新境地を開き、1966年菊池寛賞を受賞する。

1967年、乃木希典を描いた『殉死』で毎日芸術賞吉田松陰高杉晋作の師弟を描いた『世に棲む日日』で1972年吉川英治文学賞を受賞、日露戦争における秋山好古秋山真之兄弟と正岡子規を主人公にした『坂の上の雲』を産経新聞に長期連載し、のち、日露戦争までの日本は立派だったが、昭和期の戦争はダメだったとする「司馬史観」を同作で代表すると見られるようになる。大村益次郎を主人公にした『花神』もあり、大河ドラマの原作となったものは、『竜馬がゆく』『国盗り物語』『花神』(『世に棲む日日』『峠』『十一番目の志士』)『翔ぶが如く』『最後の将軍』『功名が辻』と数多く、『坂の上の雲』も司馬没後、スペシャルドラマとして映像化された。

1976年『空海の風景』で日本芸術院賞、81年日本芸術院会員、1982年、正岡子規の周辺を描いた『ひとびとの跫音』で読売文学賞受賞、87年、随筆『ロシアについて』で二度目の同賞、1984年『街道をゆく 南蛮のみち1』で日本文学大賞(新潮社)、1988年『韃靼疾風録』で大佛次郎賞、91年文化功労者、93年文化勲章受章。『司馬遼太郎全集』が文藝春秋から出ている。

ほかに、豊臣秀吉の生涯から豊臣家の滅亡までを『新史太閤記』『豊臣家の人びと』『関ヶ原』『城塞』で書き、江藤新平を描いた『歳月』、北条早雲を描いた『箱根の坂』、高田屋嘉兵衛を描いた『菜の花の沖』など代表作は数多く、忌日は『菜の花の沖』にちなんで「菜の花忌」とされている。

純文学・大衆文学の境界を取り払ったと言われたが、井上靖のように、野間文芸賞などの純文学の賞はとらなかった。時代考証も定評があったが、次第に歴史学者からの批判も増えてきている。