田村氏

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田村氏(たむらし)とは、日本氏族である。陸奥国の一部を支配した大名で、江戸時代には仙台藩の分家・一関藩主として岩手県一関市を支配した。江戸時代は外様大名で居城は岩沼陣屋、のちに一関城江戸城内の詰間は柳間。家格は城主。家紋は田村車前草。

概要[編集]

平安時代桓武天皇征夷大将軍に任命されたことで知られる坂上田村麻呂の子孫と言われる。安土桃山時代までは陸奥国の一部を支配していた小大名であったが、田村清顕の時に伊達政宗に長女の愛姫(陽徳院)を嫁がせたことが縁で、伊達氏の一門となる。清顕には男子が無かったため、その死後に田村氏では内紛が起こり、結局豊臣秀吉小田原征伐後に奥羽仕置において改易に処された。

愛姫は政宗との間に嫡男となる伊達忠宗を生んでおり、忠宗は政宗の死後に仙台藩の第2代藩主となる。愛姫は実家の再興を願っており、忠宗に実家の再興を願う遺言を遺したため、それにより忠宗の3男である田村宗良が田村氏の名跡を再興し、万治3年(1660年)に陸奥岩沼藩3万石の藩主となった。延宝9年(1681年)5月、宗良の次男である田村建顕が一関藩主となった。建顕時代に吉良上野介と刃傷沙汰になった浅野長矩を江戸藩邸で切腹させている(元禄赤穂事件)。

田村氏は建顕以降、一関藩主として明治維新まで存続し、明治17年(1884年)、華族令により子爵に封じられた。

系図[編集]

一族・主要家臣[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. 旗本・田村顕当の五男。
  2. 旗本・多羅尾光豊の子。
  3. 旗本・多羅尾光雄の子。

関連項目[編集]