岩沼藩

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岩沼藩(いわぬまはん)とは、江戸時代前期のわずかな期間に陸奥国に存在したである。藩主家は外様大名田村氏。石高は3万石。藩庁は岩沼陣屋。現在の宮城県岩沼市に存在した。仙台藩支藩である。

概要[編集]

伊達政宗の次男で仙台藩の第2代藩主であった伊達忠宗の母親は田村清顕の娘・愛姫である。田村氏は清顕が男子無く死去した後、御家騒動を経て断絶していたため、母方に田村氏の血を引く忠宗は愛姫の実家再興の願いにより、承応元年(1652年)に自らの3男・田村宗良に3万石を与え、田村姓を名乗らせて家臣の列に加えた。

忠宗はその6年後に死去し、仙台藩の第3代藩主には忠宗の子の伊達綱宗が就任する。ところが万治3年(1660年)、綱宗は幕命により隠居を余儀なくされ、第4代仙台藩主にわずか2歳の綱宗の息子・伊達綱村が就任することになる。わずか2歳の綱村に藩政を見ることなど不可能であり、仙台藩では忠宗の異母弟で政宗の末子にあたる伊達宗勝と、そして田村宗良をそれぞれ仙台藩の分知大名として支藩を創設させた上で、綱村の後見に当たらせることにした。この後見の時代に伊達騒動が勃発している。

寛文2年(1662年)、宗良は岩沼に藩庁を定めて正式に岩沼藩が立藩される。延宝6年(1678年)に宗良は死去し、子の田村建賢が第2代藩主となる。延宝9年(1681年)、建顕は陸奥一関藩移封となり、岩沼藩は廃藩となった。

歴代藩主[編集]

田村家

3万石 外様

氏名 官位 在職期間 享年 備考
1 田村宗良
たむら むねよし
従五位下
右京亮隠岐守
万治3年 - 延宝6年
1660年 - 1678年
42 陸奥仙台藩2代藩主・伊達忠宗の三男。
2 田村宗永
たむら むねなが
従五位下
右京大夫因幡守
延宝6年 - 延宝9年
1678年 - 1681年
53 延宝9年(1681年)、陸奥一関藩へ転封。
元禄5年(1692年)に建顕(たつあき)と改名。