ネコ
「 | ネコと和解せよ | 」 | |
──キリスト看板 |
ネコ | |
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座っているネコ | |
分類 | |
界 | 動物界 |
目 | 食肉目 |
亜目 | ネコ亜目 |
科 | ネコ科 |
属 | ネコ属 |
種 | ヨーロッパヤマネコ |
亜種 | イエネコ |
名称 | |
学名 | Felis silvestris catus Linnaeus, 1758 |
和名 | ネコ (猫) イエネコ (家猫) |
英名 | Cat Domestic cat House cat |
保全状況 |
ネコとは、狭義にはイエネコの通称である。広義には、いわゆるネコ目(食肉目)を指しうるが、そうなるとイヌもネコの一種になってしまうため、「食肉目(ネコ目)イヌ科(ネコ科)の下のネコ属」に分類される動物全般を指すこともある。
英語の“cat”はヤマネコをいう(ジェーン・フォンダ主演の映画作品『キャット・バルー』や剣歯虎「セイバー・キャット(サーベル・タイガーともいう)」などの例がある)。ここでは特記なき限り、ネコ=イエネコとして解説する。
概要[編集]
都市文化は穀物を基盤として成立したため、穀物保存の敵であるネズミを駆除する存在としてリビアヤマネコが人類と共棲するようになった。その結果使役動物として家畜化してイエネコとなった。古代エジプトにおいて珍重され、その後可愛いので[1]愛玩動物としても飼育されてきた。ネズミは穀物のみならず木材や蚕にも害を与えるため、英国ではウィスキー樽を齧られないためにウィスキー・キャットがおり、日本では木造船舶や養蚕業において崇められた。イヌとともに、使役動物から愛玩動物になったペットの定番である[2]。それもあるため、「愛玩用の犬猫は食用にしない」というタブーが日本にはある[3]といった区別がある。
ネコは肉食動物であるが、毛玉を吐き出すためなどの理由で草も食べる(猫草)。
ネコの寿命は野良猫では3年程だが飼い猫では15年程度と、幅が大きい。死因の多くは猫エイズなどの感染症を除けば腎臓疾患であるため、「今後、腎臓疾患の予防策が進歩すれば、ネコの寿命は三十年まで伸びる」という推定もある。
ネコが獲物(半殺しにされたクマネズミやヤモリが枕元にお供えされることは珍しくない)をもってくる時は友好の証らしい。「狩りの勉強をさせるため」であるとされる。しかし近年の都市部では単頭室内飼いが多く「外猫」が少ないので、こうした例はあまり見られない[4]。
跳躍力が極めて優れており、体長よりはるか高いところへ飛ぶことができる。イヌ属には無理である。
ネコは液体である可能性がきわめて高い。かのWikipediaにも「猫は液体」なる記事が作成されている。[Joke]
なお、「トキソプラズマ感染症のベクターである」とされているが、日本人は猫もネズミも喰わないので、ほぼ杞憂である。
人間生活との関わり・利用[編集]
家族心理学上では、かなり重要な家畜である。
イエネコは家畜化されたリビアヤマネコであり、肉食獣であるためお互いのテリトリーについて配慮する。そのため、野外で活動する個体(いわゆるノラネコや外猫)は、テリトリー境界点の適当な場所に集まって、猫会議を行なうことが知られている。
ところが近年の都会ではネコは室内飼いであることが多いため、「猫どうしのコミュニケーション」が成立していないので、同居人との間でアルファ・シンドロームが起きたりする。「猫がなつかない(泣)」というのは独り暮らしの人には少なく、ネコは「どっちが上位個体か?」という点について常に配慮している。
そんなわけで、ネコが我が物顔でのさばっている(複数人の家族がいる)家庭は、おおむね家族的な問題がない。
その他[編集]
2015年頃から日本ではネコブームによる経済効果は、ネコノミクスと呼ばれるようになっている。
ニュージーランドのスティーブンズ島における事例では、固有種であるスティーヴンイワサザイが、灯台守が飼育していた1匹のイエネコによって絶滅に追い込まれたと考えられている。ただし、スティーブンイワサザイはイエネコが駆逐した15羽しか確認されなかった。
一方でイエネコの極端な減少がネズミの被害を拡大するケースも多い。東京都心部では年々いわゆるドブネズミやクマネズミによる被害が増大しているが、これらは大規模な住宅街の歴史を持たずイエネコがほとんど出没しない、新宿や渋谷、原宿といった、山手線西部の繁華街で顕著である。一方、下町として住宅が混在し、イエネコの外飼いや野良猫(地域猫)が徘徊している上野や、浅草では皆無ではなく増加傾向にはあるものの前者ほど顕著な被害はでていない。
脚注[編集]
ギャラリー[編集]
参考作品[編集]
- 諸星大二郎『猫パニック』
- ジミー・スミス『The Cat』 - アクション映画のカーチェイス場面には絶好である。