横井庄一
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横井 庄一(よこい しょういち、1915年3月31日 - 1997年9月22日(満82歳没))は、元大日本帝国陸軍の軍人、評論家、作家。
生涯[編集]
背広の仕立て職人として生計を立てていたが招集され、大日本帝国陸軍伍長まで出世した。1945年の太平洋戦争終戦の情報が届かず、日本が敗戦したことを知らないまま、現地で潜伏していたが、本国では戦死扱いされ、軍曹となった。1972年1月24日にアメリカ合衆国海外領であるグアム島で現地人に発見・保護されるまで27年間を戦い続けていた。これは戦争中の戦辞訓であった「生きて虜囚の辱めを受けず」のために、島のジャングルに隠れていたという。
2月2日に羽田空港に着いた際、帰国第一声となる「恥ずかしながら横井、生き永らえて帰って参りました。天皇陛下から頂いた小銃を持って帰りました」で、恥ずかしながらは流行語となった。帰国後に伴侶を得て、オイルショック前の高度成長に浮かれた日本人に警笛を鳴らすかの如く、『耐乏生活評論家』を名乗り講演等で活躍したほか、グアム島潜伏時代のサバイバル経験をまとめた著書などを出版している。
著書[編集]
- 横井庄一 『明日への道―全報告グアム島孤独の28年』 文藝春秋、1974年。ASIN: B000J9H0IC。
- 横井庄一 『無事がいちばん―不景気なんかこわくない』 中央公論社、1983年8月。ASIN: B000J7AMCA。
- 横井庄一 『横井庄一のサバイバル極意書 もっと困れ!』 小学館、1984年1月。ISBN 978-4093663014。
参考文献[編集]
- “グアムで28年間まだ戦争だと思っていた伝説の日本兵「横井庄一」”. NAVERまとめ. 2016年7月15日確認。
関連項目[編集]
- 小塚金七 - 横井の帰国後もなおルバング島に潜伏し続けた元一等兵。1972年10月に現地警察官に射殺され、生前帰国はならなかった。
- 小野田寛郎 - 小塚の上官で終戦時は少尉だった。横井と同様、終戦に気づかないまま小塚と共に潜伏し、戦い続けていたが、小塚の死後、冒険家の鈴木紀夫によって生存が確認され、1974年に谷口義美元少佐が解除命令を出し投降した。士官級の残留日本兵として注目された。日本に帰還後、ブラジル移民として暮らした。
外部リンク[編集]
- 【1972年2月2日】 横井庄一さん帰還 - 懐かしの毎日ニュース