清水藩
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清水藩(きよみずはん)は、美濃清水(現在の岐阜県揖斐郡揖斐川町清水)に存在した藩[1]。居城は清水城。慶長5年(1600年)から慶長12年(1607年)にかけて存在した。藩主家は稲葉氏。
藩史[編集]
斎藤道三・織田信長に仕えて美濃三人衆で知られる稲葉一鉄は、天正7年(1579年)に家督を嫡子・貞通に譲った際、庶長子の重通に別家を立てさせた[1]。天正16年(1588年)に一鉄が死去すると、重通は美濃清水の領主として1万2000石を領した大名となる[1]。重通は豊臣政権下で豊臣秀吉に近侍したが、慶長3年(1598年)10月3日(1598年11月1日)に秀吉の後を追うように死去[1]。子の通重が跡を継ぎ、徳川家康に接近する[1]。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、通重は最初は西軍に属したが、後に東軍に寝返ったため、戦後に家康から本領安堵された[1]。しかし慶長12年(1607年)12月に通重は天野雄光・矢部善七らと京都祇園で遊んだ際に酒乱の上に狼藉を働いたとして、家康の命令で常陸筑波に流罪とされ、清水藩は改易・廃藩となった[1]。
歴代藩主[編集]
稲葉(いなば)家[編集]
外様。1万2000石。