河野密

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河野 密(こうの みつ、1897年12月18日 - 1981年1月4日)は、政治家、弁護士。日本社会党副委員長、衆議院議員(当選12回)。

経歴[編集]

千葉県夷隅郡中川村行川(現・いすみ市)生まれ。行川小学校、県立大多喜中学校卒業[1]。中学生時代に『萬朝報』を愛読[2]。1919年第一高等学校卒業。東京帝国大学法学部独法科に入学[1]東大新人会に加盟[2]内村鑑三から大きな影響を受ける。1922年東京帝国大学法学部独法科卒業。東京朝日新聞社記者。1923年2月大阪朝日新聞社に転勤。大阪労働学校を通じて運動に関係するようになり、同年10月に朝日新聞記者を馘首された。1924年4月同志社大学講師[1]。1924年5月に西部交通労働同盟の顧問となり、同年7月の大阪市電争議を指導。大阪労働学校講師を務め、1925年の総同盟第一次分裂の際には細迫兼光と調停工作にあたった[2]。この間、新人会OBが1922年に結成した社会思想社の同人となった[3]

1926年12月の日本労農党の結成に際して発起人の1人となり、綱領、宣言を起草した。以降、中間派の理論的指導者として活躍する[2]。1927年1月日本労農党調査部長[1]。同年3月に同志社大学講師を辞任し、無産政党運動、労働組合運動に専念[4][5]。日本労農党中央執行委員、議会対策部長となる[1]。1928年12月に日本大衆党が結成され書記次長となる。日本農民党一派の脱退、旧無産大衆党系の除名後、1929年6月の第3回拡大中央執行委員会で書記長となる[6]。1930年7月に全国大衆党が結成され中央執行委員となる[7]。1931年弁護士を開業[8]。1931年7月に全国労農大衆党が結成され中央執行委員となる[9]。1932年4月に社会民衆党との合同交渉にあたる合同委員となり、同年7月に社会大衆党が結成され中央執行委員となる[10]。1936年2月の第19回衆議院議員総選挙の東京第1区に社会大衆党公認で立候補し、1万4387票を獲得してトップで初当選した[11]。以降、当選12回[8]。この間、1932年全国労働組合同盟(全労)執行委員長、1936年全日本労働総同盟(全総)副会長[12]。1936年のILO総会に労働代表として出席[2]。1942年4月の第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)では非推薦で当選。

敗戦後、1945年9月に開かれた単一社会主義政党結成全国代表者懇談会で準備委員となり[13]、同年11月の日本社会党結成大会で中央執行委員に選出[14]。1946年4月の第22回衆議院議員総選挙に東京都第1区から立候補し当選。1946年公職追放となるが、1951年追放解除[8]。1951年10月に民主社会主義連盟(民社連)の創立に参加し、理事に就任[15]。1952年10月の第25回衆議院議員総選挙の東京都第5区に右派社会党公認で立候補して当選し、政界に復帰[8]。左右両社会党の統一交渉委員会、綱領政策小委員会の右社側の委員として1955年の社会党統一に参加[16]。1956年から1960年まで社会党国会対策委員長。1965年から1968年まで社会党副委員長[8]。1967年4月永年勤続議員として衆議院より表彰[2]。1971年2月に現代革新研究会準備会が発足し委員長に就任。同年7月に江田三郎衆議院議員を中心にした現代革新研究会(革新研/社会党新江田派)が発足し代表世話人に就任[17]。1972年12月の第33回衆議院議員総選挙で落選し、政界を引退[8]。1973年勲一等旭日大綬章受章[8]。1978年時点で社会党顧問[2]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『勞働者の基礎知識』(大阪勞働學校出版部[大阪勞働學校パンフレット]、1924年)
  • 『勞働組合と政黨問題』(大阪勞働學校出版部[大阪勞働學校パンフレット]、1924年)
  • 『人一生の經済学』(勞働問題研究所、1924年)
  • 『実際経済問題講座 第13巻 我國に於ける勞働問題』(平凡社、1931年)
  • 『孫文の生涯と國民革命』(日本放送出版協會[ラジオ新書]、1940年)
  • 『政治と文学』(図書研究社、1941年)
  • 『新體制その後に來るもの』(萬里閣、1941年)
  • 『国防政治学』(万里閣[國防文化撰書]、1941年)
  • 『風雲政治史』(四方木書房、1943年)
  • 『日本勞働運動小史』(日本鐵鋼業經營者聯盟、1947年)
  • 『日本社会政党史』(中央公論社、1960年)
  • 『革新の黎明――河野密論文集』(毎日新聞社、1979年)

共著[編集]

  • 『経済学全集 第三十二巻 唯物史観経済史』(山川均、石浜知行共著、改造社、1929年)
  • 『現代不景氣論』(石橋湛山、高橋亀吉ほか共著、平凡社、1930年)
  • 『日本無産政黨史』(赤松克麿、勞農黨書記局共著、白揚社編輯部編、白揚社、1931年)
  • 『日本農業恐慌研究』(小野道雄、藤井米蔵、河西太一郎、山川均共著、改造社、1932年)
  • 『予算に表われた吉田内閣の反動性』(川島金次、石井繁丸共著、日本社会党選挙対策委員会編、日本社会党出版部[国会闘争シリーズ]、1953年)

訳書[編集]

  • フリードリヒ・エンゲルスカール・マルクス『マルクス全集 第11冊 神聖家族』(大鐙閣、1923年)
  • ジョン・スチュアート・ミル『社會科學大系(9)コント実証哲学 附功利主義論』(波多野鼎共訳、而立社、1923年/日本図書センター、2008年)
  • プレハノフ『社會主義及無政府主義論』(更生閣吉田書店、1924年)
  • ハインリッヒ・クノー『社會科學大系(10)マルクス歴史社會國家學説(上)』(而立社、1924年/日本図書センター、2008年)
  • カール デヰール『社會思想八講』(更生閣、発売:洛東書院、1926年)
  • フリードリッヒ・エンゲルス『反デューリング論』(林要共訳、弘文堂書房[マルキシズム叢書]、1927年)
  • ジョン・スチュアート・ミル『功利主義論』(而立社、1928年)
  • フリードリヒ・エンゲルス、カール・マルクス『社会思想全集 第22巻 マルクス歴史・社會・國家學説』(平凡社、1928年)
  • フリードリヒ・エンゲルス、カール・マルクス『社会思想全集 第7巻 神聖家族・反デューリング論』(平凡社、1930年)

出典[編集]

  1. a b c d e 山川均、石浜知行、河野密『経済学全集 第三十二巻 唯物史観経済史』改造社、1929年
  2. a b c d e f g 河野密、渡辺悦次「連載インタビュー 戦前の労働争議Ⅲ 河野密さんにきく――高野山への篭城戦術をあみだした大阪市電争議」『月刊総評』第241号、1978年1月
  3. 梅田俊英「社会思想社の一側面(上)――田中九一と東大新人会OBの動向」『大原社会問題研究所雑誌』第479号、1998年
  4. 『社會科學講座 1』誠文堂、1931年
  5. 河野密『日本社会政党史』中央公論社、1960年
  6. 河野密『日本社会政党史』中央公論社、1960年、91-92頁
  7. 河野密『日本社会政党史』中央公論社、1960年、95頁
  8. a b c d e f g 新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「河野 密」の解説 コトバンク
  9. 河野密『日本社会政党史』中央公論社、1960年、99頁
  10. 河野密『日本社会政党史』中央公論社、1960年、127-129頁
  11. 河野密『日本社会政党史』中央公論社、1960年、138頁
  12. 原田溥「右翼的社民体質の伝統を誇る分派――河野密氏の思想と行動の軌跡」『社会主義』1970年9月号(通巻41号)
  13. 河野密『日本社会政党史』中央公論社、1960年、177頁
  14. 小山弘健清水慎三編著『日本社会党史』芳賀書店、1965年、25頁
  15. 福家崇洋「一国社会主義から民主社会主義へ : 佐野学・鍋山貞親の戦時と戦後」『文明構造論』Vol.9、2013年10月
  16. 小山弘健、清水慎三編著『日本社会党史』芳賀書店、1965年、148-150頁
  17. 現代地方政治研究会編著『これからの地方政治と革新統一――'74年京都府知事選挙の記録』都政新報社、1975年、48-49頁