横須賀城
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横須賀城(よこすかじょう)とは、現在の静岡県掛川市松尾町に存在した日本の城である。現在は城跡のみであり、国の史跡に指定されている。
概要[編集]
天正6年(1578年)6月、徳川家康は家臣で馬伏塚城主・大須賀康高に横須賀に築城を命じ、天正8年(1580年)に完成させた。当時、家康は武田勝頼と高天神城をめぐって攻防を続けており、家康は横須賀城の他に6つの砦を築き、高天神城を包囲して兵糧攻めに追い込んだ。武田勝頼は北条氏政や織田信長とも抗争していたため高天神城に後詰を送ることはかなわず、天正9年(1581年)に高天神城は遂に落城した。
横須賀城の縄張りは東西600メートル、南北は東部で250メートル、西部はその半分ほどと東西に長く、中央部から東にかけては丘陵であり、城域の中央部が本丸で4層の天守閣が置かれていたという。しかし高天神城陥落後、横須賀城は戦乱に巻き込まれることは無かった。城主家は大須賀氏、松平氏、井上氏、本多氏と徳川氏の譜代大名が任命され、最後は西尾氏が2万5000石の大名として明治維新を迎えた。横須賀城は明治6年(1873年)に破却された。
現在、城郭の一部は茶畑、宅地と化しているが、遺構として天守台、本丸、西の丸、北の丸の跡や玉石積の石垣、舟入状の隠し掘跡などが残っている。また、本丸一帯は史跡公園として整備されている。