横路孝弘
横路 孝弘(よこみち たかひろ、昭和16年(1941年)1月3日 - 令和5年(2023年)2月2日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(通算12期)、北海道知事(公選第10・11・12代)、衆議院議長(第73代)、衆議院副議長(第63代)、民主党総務会長を歴任。父は元日本社会党衆議院議員の横路節雄。
来歴[編集]
昭和41年(1966年)に東京大学卒業後、弁護士となり、その3年後に社会党国対委員長などを務めた父が急死したため、衆院選に出馬して28歳の若さで初当選する。
昭和47年(1972年)に沖縄返還となるが、その直前に毎日新聞記者だった西山太吉に託された外務省公電のコピーを衆院予算委員会で示し、軍用地の原状回復補償費を日本が肩代わりするとの日米間の密約を暴露し、いわゆる西山事件(外務省機密漏洩事件)の発端となった。その後、田中角栄のロッキード事件でも追及して名を馳せ、「社会党のプリンス」と称された。
昭和58年(1983年)、国会議員から北海道知事に転身して3期務める。平成8年(1996年)の旧民主党結成に参加。同年の衆院選で国会議員として復帰。衆院議員は12期務めている。民主党では社会党のグループを率いて護憲派の代表格として活躍。平成11年(1999年)と平成14年(2002年)に民主党代表選に出馬するが、これはいずれも鳩山由紀夫に敗れている。党の副代表などを経て、平成17年(2005年)に衆院副議長となる。平成21年(2009年)に民主党が自民党からの政権交代を成し遂げると衆院議長に就任し、平成24年(2012年)の衆院解散まで3年余りにわたり在任。民主党では唯一の衆院議長経験者でもあった。
平成28年(2016年)に民進党結成に参加して最高顧問に就任するが、翌年の衆院選には出馬せずに政界引退した。
令和5年(2023年)2月2日午後8時45分、肝内胆管癌のため、東京都内の病院で死去した。82歳没。
著書[編集]
- 現代日本の陰 白馬書房 1972.
- 政党の近代化を語る 山口敏夫共著 尾崎行雄記念財団, 1972.3. 討論集会シリーズ
- 北こそフロンティア 北海道・新時代を切り拓く 東洋経済新報社, 1987.2.
- 知事が語るニッポン分権 橋本大二郎 対談 日本社会党機関紙局, 1993.7. 社会新報ブックレット
- 東京ぬきでやろう 往復書簡 平松守彦共著 1994.10. 岩波ブックレット
- 第3の極 講談社 1995.6.