日田藩
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日田藩(ひたはん)は、江戸時代前期のわずかな期間に豊後国に存在した藩である。藩庁は永山城。藩主家は譜代大名の石川氏(6万石)、親藩で家門の越前松平家(7万石)。現在の大分県日田市に存在した。
日田領は、藩としてよりも天領としてのほうが知られている(日田天領)。
概要[編集]
慶長6年(1601年)に小川光氏が丸山城を支配して治めていた。
元和2年(1616年)、美濃国大垣藩から石川忠総が6万石で入封したことにより、日田藩が立藩した。石川氏の所領は日田郡・玖珠郡・速見郡などに6万石であった。忠総は丸山城を永山城と改名し、ここを藩庁に定めたが寛永10年(1633年)に下総国佐倉藩に移封されて日田藩は廃藩となった。
その後、豊前国中津藩の小笠原氏が城番を置いて支配し、寛永16年(1639年)に天領となって幕府直属の代官が支配して永山布政所が設置された。
天和2年(1682年)、播磨国姫路藩主の松平直矩が7万石で入封し、日田藩が再立藩される。しかし貞享3年(1686年)に直矩は出羽国山形藩に移封となり、日田藩は完全に廃藩となった。
廃藩後[編集]
この日田の地は筑後川の中流に位置する盆地集落で、九州中央部に位置する要衝であった。そのため、江戸幕府はこの地の支配を重要視し、再び日田を天領にすると日田代官を設置。宝暦9年(1759年)に日田代官は西国筋郡代と称されるようになり、以後この郡代は豊前・豊後・筑前国・筑後国など12万石前後を差配する大名級の地位の持ち主として、九州諸大名の監視の重役も担当することになった。
歴代藩主[編集]
- 石川家(家成流石川家)
- 松平家(結城家)