日本国有鉄道の車両

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日本国有鉄道の車両 (にほんこくゆうてつどうのしゃりょう)とは日本国有鉄道が所有していた鉄道車両である。なお、本稿では日本国有鉄道に営業用、事業用として車籍があった鉄道車両だけに限る。事業用の自動車車籍のない機械大八車リヤカー自転車は扱わない。

概要[編集]

明治時代に外国から輸入した車両から、国鉄分割民営化直前に製造されたものまで様々な形式がある。機器などが徹底的に標準化され、北海道を除く日本全国で運用できるようにされ、北海道にも耐寒耐雪装備を行った上で運用できるようにした。このため、全国転配が広く行われ、また、運用も広大であった。陳腐化した車両を地方民鉄に売却して地方民鉄の近代化に貢献することもあった。また、国鉄モハ63系電車南海電気鉄道の、サハ4801、国鉄キハ55系気動車類似車のように大手私鉄の車両に影響を与えることもあった。冷房化改造、近代化改装、機器更新を行った車両もあるが、両数が多いためにすべてに行われることもなかった。

歴史[編集]

買収国電と木造車両[編集]

太平洋戦争中に多くの私鉄が強制的に国有化され、それらに所属していた電車はしばらくそのまま運用されていたが、保守面から都合が悪くなり地方民鉄に売却された。ただ、阪和電鉄引き継ぎ車両については国鉄の標準部品に取り替えられながら昭和43年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正まで運用されていた。大量の木造客車の老朽化も深刻であった。鉄道省ナハ22000系客車鉄道院標準型客車のみならず、それ以前に製造された客車も存在し、保安面での問題があった。鋼製客車の新製をするにも予算が足りず、木造客車の鋼体化を行うという方針に決定した。

詳細は「国鉄オハ61系客車」を参照

車両の生産は旅客用機関車、客車を中心に行われ進駐軍からの返還も続いていたが、輸送力不足は深刻であった。

蒸気機関車と客車の生産中止[編集]

動力近代化合理化の観点から蒸気機関車と客車を生産中止とした。電気機関車ディーゼル機関車の大量生産が始まり、都市部の操車場から蒸気機関車が駆逐された。無煙化という言葉が大手を振るった。木造客車が一掃されると同時に電車と気動車による急行列車の運転が始まり、これらの高速運転によって客車の運命が決まった。客車の新製は国鉄20系客車オロネ10を除いて中止された。しかし、長距離急行列車に使用する車両が不足した。

電化とディーゼル化[編集]

戦時中に凍結されていた電化工事も再開され、国鉄モハ80系電車の登場によりスピードアップが実現し、余った電気機関車と客車は他線区の機関車、客車を置き換えて木造客車の鋼体化を促進した。気動車(ディーゼルカー)の生産は普及するとともに、これらによって動力集中方式は緩やかに姿を消していった。1958年には、特急用の電車である151系が登場し、1964年に新幹線用車両として登場した0系も電車として投入され、以降電車による高速列車が増えていった。

鉄道車両形式[編集]

詳細は「国鉄の鉄道車両形式」を参照

脚注[編集]