文系学部不要論

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文系学部不要論とは、大学文系学部は不要で、廃止すべきだとする考え方。2015年文部科学省国立大学の文系学部の廃止・改編を進める旨を通達[1]して以来、各所で議論された。

背景[編集]

戦前[編集]

文系・理系の区分は、明治時代の旧制大学に始まる。文系の学問の多くは書籍さえあれば学べるが、物理学や化学などの理系の学問を学ぶ際には、実験の実施が不可欠である。しかし、明治初期の日本の財力は乏しく、用意できる実験器具や試薬の量に限りがあった。そこで、大学の学部を便宜的に文系・理系に分け、それぞれに全く違う入学試験を課すこととした。その結果、大学進学を志す若者は分散し、理系学部の生徒数を絞ることに成功した。

明治時代当初には官僚や法曹が不足していたため、法学の教育が積極的に行われていた。しかし、明治中期以降、新政府の政権が安定してくると、欧米列強に肩を並べるため、技術や工業力・軍事力の強化が急務となる。この頃から大学の研究においても効率が意識されるようになり、工業生産増大や軍事力強化など目に見えた利益を生み出すようには思えない文系学部への風当たりが強まった。帝国大学も北海道帝大は理、工、農、医以外の学部は増設されず、1930年代設置の大阪帝大、名古屋帝大は旧官立医大を母体に理工系学部を増設して発足した。
太平洋戦争末期、下級指揮官の不足に対し大学高等学校専門学校の文系の学生、生徒の徴兵猶予停止がなされた。学徒出陣である。しかし、理工系と教員養成系の学生、生徒に対しては依然、徴兵猶予が継続された。商業学校、高等商業学校は廃止されて、工業学校、工業専門学校、工業大学は増加した。

戦後[編集]

理科系のみの帝国大学として戦前に設置された北海道、大阪、名古屋の各帝大にも、国立総合大学転換前後の1947年1948年に法文系学部が設置された。さらに学制改革で高等教育は1949年に大学に一本化され、大学転換されなかった一部の旧制専門学校も短期大学となった。進学率も向上し、第一次ベビーブーム世代が大学生になる1960年代には大学の数や学部が増加した。
大学紛争で、学生が集合しない放送大学の設置が検討されたが、国立大学で設置されなかったため認知度向上に繋がらず、第二次ベビーブーム世代が大学生になる1987年〜1995年には大学の数や学部がさらに増加し、短期大学の四年制大学転換も進んた。

近年の動向[編集]

近年では、文系学部の非採算性からも文系学部不要論が唱えられることがある。2003年頃の国立大学法人法施行に伴って多くの国立大学が株式会社のような体質になり、利益の出にくい不採算な学部を切り捨てる必要が出てきた[注 1]。また、2000年頃から目立つようになった、定員割れかつ赤字経営のFラン大学の多くは文系学部である。

2015年6月には、文部科学省が「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」という通達を出した。その通達の中に「教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする。」という一節があった。文系学部の廃止をも示唆する内容であり、文系の研究者を中心に多くの反対意見が出た。

その他、国際的な理系学問重視の潮流を根拠として、文系学部不要論を主張する者もいる。例えば、アメリカの大学での文系学問の研究予算は、理系のそれのわずか0.5%未満にすぎない[2]。また、QS Quacquarelli Symondsによる世界大学ランキングの1位は、2023年現在11年連続でマサチューセッツ工科大学である[3]
日本でも情報技術者などの理系人材不足を背景に、2023年7月に理系学部増設に対し、学校数を限定して補助を行うことを発表した[4][5]

文系学部不要論者の論拠[編集]

  • 文系学部で学んだ内容(哲学・文学など)を仕事で生かせる可能性は低いが、理系学部で学んだ内容は、就職後にも生かせる可能性が高い。
  • 理系学部は、金融工学やプログラミングなど、社会で「食える」学問や能力を提供している。
  • アメリカの研究予算の配分や世界大学ランキングからもわかるとおり、世界的に理系学問の研究が重視されている。
  • 日本の論文引用数は年々減少しており、中国に大きく水をあけられている。教員や研究予算を理系に集中投入し、高品質な論文の執筆を加速させるべきだ。

反論[編集]

  • 大学の存在意義は、論文を大量生産したり、学生に小手先の儲かる方法を身につけさせること以外にもあるはずだ。例えば、学生がキャンパスに集まっているというだけで、周囲は学生街となり、経済効果が生まれる。特別な才能を持たない「凡人」らに、一定の学力と能力を保証する「大学卒業資格」を与え、有利な状態で社会に出られるようにしている。留学生を受け入れれば、外貨獲得や国際交流につなげる。これらの役割は、べつに理系学部でなくてもできるはずだ。
  • 文系学部で学んだ内容が就職後に活きる可能性は低いとは言え、弁護士の様に文系の専門職もある上に、どこの企業でも法務、経理といった部門が存在する。
  • 一方で、理系学部で学んだ内容を、そのまま仕事で生かしている理系学生もあまり多くない。理学部や農学部では、学んだ内容を仕事で生かしている人の方が少数である。
  • 法律・歴史・高度な外国語・言葉の使い方など、文系学部では社会で必要となる知識やスキルを教えている。しかし、理系学部の中には、これらが必修でないところも少なくない。必修でない学問をわざわざやる学生は少ないから、理系学生は一部の能力を欠いた状態で社会に出ることになる[6]
  • 論文の生産は文系でも必須であり、論文を出す必要性自体が文系不要論の論拠にはならない。
  • 一見、非実学的な学問に見える文学歴史学も、過去の事例から将来の課題解決のヒントを導き出す役割を持つ学問として無用でない。

その他[編集]

教員養成系学部は、大量採用期の定年退職者増加により、ゼロ免課程を廃止して、教員養成課程の定員を増やす揺り戻しが行われたものの、教員志願者の減少という社会問題の前には焼け石に水である。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 一方、私立大学では九州共立大学のように2008年に工学部を募集停止した大学もある。
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