岩手信盛
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岩手 信盛(いわて のぶもり、生没年不詳)は、戦国時代の武将。甲斐武田家の一族で家臣。
生涯[編集]
永正5年(1508年)10月の勝山合戦で父が信虎に敗れて戦死した後、岩手家の家督を相続した。信虎、武田信玄に仕え、信玄の時代には一軍を指揮することを認められて混白の幕や金色の采配の使用を許可されている。史料から見るに、上杉謙信との最前線である信越国境を守備していたようである。
天正2年(1574年)9月11日に息子の信景が武田勝頼から代替わりの所領安堵を受けているため、この頃に隠居したものと思われる。
天正10年(1582年)3月、織田信長・徳川家康連合による武田征伐で武田家が滅亡し、この際に息子の信景も信長の命令で甲斐国南山で自害している。しかし、本能寺の変後の8月21日に家康から甲斐国岩手郷200貫文の所領安堵を受けている「岩手入道」という人物がおり、これは信盛ではないかと見られている。法名は遊山。
父の縄美が戦死してから推定しても、かなりの長寿だったことになる。