岩手 信景(いわて のぶかげ、? - 天正10年(1582年)3月)は、戦国時代の武将。甲斐武田家の一族で家臣。
父は岩手信盛。信盛は武田信昌の4男・岩手縄美の子であるため、武田信玄とは又従兄弟に当たる。官途は右衛門佐、右衛門大夫。受領名は能登守。
天正2年(1574年)9月11日に武田勝頼から代替わりの所領安堵を受けているため、父の隠居により家督を相続したものと思われる。
『寛永伝』によると、天正10年(1582年)2月から開始された織田信長による武田征伐により、信長の命令を受けて自害したとされている。法名は久山。『甲州安見記』によると甲斐国南山が最期の地とされている。