多良藩
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多良藩(たらはん)は、江戸時代前期のわずかな期間に美濃国に存在した藩。藩主家は外様大名の関氏。石高は3万石。藩庁は多良城。現在の岐阜県大垣市(旧養老郡上石津町)に存在した。
概要[編集]
織田信長・豊臣秀吉に仕えた関盛信の息子の関一政は天正10年(1582年)から天正16年(1588年)まで多良を支配していたが、やがて蒲生氏郷の与力大名として信濃国川中島に移されたため、多良は大垣城主の支配地となる。秀吉没後に政権を掌握した徳川家康によって関ヶ原の戦い直前に再び多良3万石に戻された。
慶長5年(1600年)、一政は関ヶ原においてはじめ西軍に与して竹中重門や稲葉貞通、加藤貞泰らと共に犬山城を守備していた。しかしやがて東軍に寝返り、関ヶ原本戦で井伊直政に従って戦功を挙げたため、戦後に関氏の旧領であった伊勢亀山藩に移され、多良藩は廃藩となった。
歴代藩主[編集]
- 関家
外様 3万石