団忠正
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団 忠正(だん ただまさ、? - 天正10年6月2日(1582年6月21日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。美濃国岩村城主で織田信忠の側近。
生涯[編集]
通称は平八郎。諱については忠直など様々なものが伝わっている[1]。
忠正の資料上の初見は、『宗及他会記』における天正6年(1578年)4月20日条であり、京都妙覚寺において信忠主催の茶会に陪席しているのが記録されている。
天正10年(1582年)2月の織田信長・信忠による武田征伐では、織田軍の先鋒を務めて美濃岩村口から信濃国に侵攻し、同国の仁科盛信が守る高遠城攻め、さらに上野国の武田軍鎮撫に向かい、多大な功績を立てた。この功績が評価されて、信長から美濃岩村城を与えられて大名となった[1]。
しかし同年6月2日、本能寺の変の際に二条御所において信忠に殉じた。法名は江月宗範[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年。 。