佐藤方政
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佐藤 方政(さとう かたまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。美濃鉈尾山城主(2万石)。
生涯[編集]
織田信長の家臣・佐藤秀方の子で、父に代わり豊臣秀吉に仕えて九州征伐や小田原征伐に参加。文禄2年(1593年)、父の隠居により家督を継承して2万石の大名となった[1]。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは信長の嫡孫・秀信に従って西軍に属し、美濃岐阜城に入城。8月22日に東軍の池田輝政らと米野の戦いで戦って敗走した。戦後は改易となって牢人。慶長19年(1614年)からの大坂の役で大坂城に入城し、翌年の大坂夏の陣において戦死した[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]