佐脇良之

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが佐脇良之の項目をおカタく解説しています。

佐脇 良之(さわき よしゆき、? - 元亀3年12月22日1573年1月25日))は、戦国時代武将前田利家の弟。織田信長小姓衆。最後は徳川家康家臣

生涯[編集]

父は前田利昌で5男。兄に前田利家がいる。他の兄弟は前田利久前田利玄前田安勝、女(寺西九兵衛室)、前田秀継、長久院(前田源介室、後に高畠定吉室)ら。

通称は藤八郎。佐脇藤右衛門養嗣子となり、佐脇姓を称する。

永禄元年(1558年)7月12日、浮野の戦いに参戦して林弥七郎を討ち取る功績を挙げる。永禄3年(1560年)5月19日の桶狭間の戦いにも「御小姓衆」の1人として名前が見える(『信長公記』)。

なお、兄の利家とともに信長の赤母衣衆に選抜されている(『高木文書』)。永禄11年(1568年)9月に信長が足利義昭を奉じて上洛した後の永禄12年(1569年)8月、北畠具教伊勢国大河内城攻めに従軍し、「尺限廻番衆」を務めたとされる(『信長公記』)。

しかし同じ小姓の長谷川橋介山口飛騨守加藤弥三郎らと共に信長の勘気を受けて織田氏から追放され、遠江国浜松城徳川家康のもとに身を寄せてその家臣となった。

元亀3年(1572年)12月22日、家康が武田信玄に侵攻された際に発生した三方ヶ原の戦いにおいて家康に従って参戦。他の小姓3人と共に討ち死にした(『信長公記』)。

登場作品[編集]

小説