アンサイクロペディア化
アンサイクロペディア化とは、アンサイクロペディアのように、厳格な教条主義のユーザーがコミュニティを支配した結果、ユーモアの運用が厳格化され、コミュニティ全体に閉塞感が漂うようになることを言う。
この言葉は"ウィキペディア化"のパロディだと考えられている。
特徴[編集]
過疎ペディアを含む多くの後発ウィキでは、特にユーモアの導入を検討している場合、嫌でもアンサイクロペディアを意識せざるを得なくなる。エンペディアやUnpediaのように、いくつかのウィキはアンサイクロペディアとは異なる方向性を模索するが、何かと異なっているためには、比較対象が存在しなければならないからである。
また、多かれ少なかれ、アンサイクロペディアにもアカウントを持っている利用者が(兼業の度合いに差こそあれ)コミュニティの中心を占めるため、アンサイクロペディアの方針に疑問を抱いて新たなユーモアウィキへと旅立ったとしても、しばしば「結局このアンサイクロペディアの方針(か、それに似たようなもの)は外せないよね」という結論に落ち着いて、アンサイクロペディアに近い方針が導入されることが起こりやすい。これについては、そもそも百科事典としてはスタートしていない、チャクウィキのようなサイトでもある程度は成り立ってしまう。
これが、アンサイクロペディア化とされる過程なのであるが、その一翼を担うのが、ルールによる厳格な運用を望む一派だと考えられている。
アンサイクロペディアは、方針文書の数や分量だけでも、多くのウィキの方針文書を上回る規模となっており、あまりにも膨れ上がり過ぎて内部矛盾を発生させているほどである。しかし、新天地として立てられたユーモアウィキでも、特に荒らしが侵入した場合、規制ルールを考えざるを得なくなり、ルールによる運用を求める一派と荒らしがともに存在するウィキでは、結果として「ウィキを守るために」ルールが増え、アンサイクロペディアばりに息苦しい場所になってしまうことが往々にして存在する。
そして、場合によっては、これに反発した古参ユーザーが更なる新天地を求めて、サイト自体が分裂することになったりする。
各ウィキにおける事情[編集]
ウィキペディア[編集]
アンサイクロペディアのパロディであるウィキペディアは、比較的早い段階から、ウィキペディア化が言われているウィキである。これはパロディとして、多かれ少なかれウィキペディアに近い姿勢を取るべき局面が数多く存在することが一因と考えられている。
そもそもウィキペディアでは厳格にルールに則ったユーモアを書かなければ、削除議論になる事も無く「特筆性の無い記事」の一言で削除されるため、アンサイクロペディア化は避けられている。アンサイクロペディアンから見たらウィキペディアのルールはリスク回避。
アンサイクロペディア[編集]
アンサイクロペディア化の元凶なので割愛。
エンペディア[編集]
詳細は「エンペディアのアンサイクロペディア化問題」を参照
エンペディアの場合も、アンサイクロペディア化を指摘する声がちらほらとみられる。但し、徒なアンサイクロペディア化の進展に対する防御策としてエンペディア性という概念が導入されており、ギリギリのところで完全な第二アンサイクロペディアに成り下がることだけは、今のところ免れている。つまりアンサイクロペディア化が進んでいる。『カテゴリ:寛容な心でお読み頂きたい記事』の記事の増加がそれを物語っている。
チャクウィキ[編集]
チャクウィキの場合は、アンサイクロペディアとはだいぶ運営方式が異なるため、単純にアンサイクロペディア化しているとは言えない。但し、プレビュー活用依頼の頻発など、編集スタイルに関して比較的厳格だという意味では、多少アンサイクロペディアに類似しているところはあるかもしれない。
ユアペディア[編集]
ユアペディアは、珍しくアンサイクロペディア化からほぼ自由なウィキだといって良い。但し、その代償として荒れ地になっており、衰退に向かい、管理が行き届かなくなったウィキの末路を指す「ユアペディア化」という言葉を生み出す元となっている。
Miraheze[編集]
Mirahezeはウィキファームであるが、WMFと同じようにスチュワード制と統一アカウント制を導入しており、かつ初期の運営にWMFの現役スチュワードの一人が参加していたこともあって、WMFの影響を色濃く受けている。別のプロジェクトであるという認識は成り立っており、個別のウィキにまではアンサイクロペディア化の波はあまり及んでいない[1]が、時折、WMFでブロックされている利用者が流れついて即権限申請を行った場合には、WMFでの状況が議論の場で持ち出され、不利に働く場合も存在はする。
Fandom[編集]
Mirahezeと対照的なのが、Fandomである。ウィキペディアと同じくジミー・ウェールズが創設したにもかかわらず、ファンコミュニティウィキに特化し、WMFのデフォであるVectorスキンを排除し、更にはMediaWikiのソフトそのものをも魔改造を重ねた結果、アンサイクロペディアとは離れた性質のコミュニティが、全体としては実現している[2]。但し、Wookieepediaなどの大型ウィキでは、ウィキ単位でウィキペディア的色彩を帯びることはなくはない。
余談[編集]
エンペディアの記事は、今では『百科事典としては信用できない反面、雑学知識を身に付けるためには丁度良いレベルになっている』とも言われており、しばしば参考になる[3]が、ここでいうアンサイクロペディア化とは、記事ではなくコミュニティを指して、コミュニティが過剰に肥大化した方針でがんじがらめにされ、息苦しくなっていくことを指す。
脚注[編集]
関連項目[編集]
アンサイクロペディア関連 |