1948年5月9日の日食

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

1948年5月9日の日食(1948ねん5がつここのかのにっしょく)は、金環日食ではあったが、限りなく皆既日食に近かった。最大食地点では、食分0.99996、金環継続時間0.3秒、金環帯の太さ229mというものだった。

地域[編集]

アジアと、北アメリカ北部の広い範囲で部分日食が見られた。金環日食は、イギリス領モルディブ諸島(現在のモルディブ)沖に始まりベンガル湾ビルマ(現在のミャンマー)、タイベトナム中華民国(現在の中華人民共和国)、黄海南朝鮮(当時は連合軍による軍政、現在の韓国)、日本海礼文島宗谷海峡樺太オホーツク海千島列島北太平洋アリューシャン列島ベーリング海を通り、アメリカ合衆国オレゴン州西岸沖約700kmの海上で終わった。

日本[編集]

日本でこの金環日食が見られたのは、正午前の礼文島のみだった。礼文島中央部を通過し、宇遠内集落を通った。宇遠内集落中心部では金環継続時間1.7秒、金環帯の太さ1.3kmだった。また、対岸の地域では金環継続時間1.9秒、金環帯の太さ1.3kmだった。

全国で部分日食となった。稚内町(現在の稚内市)で最大食分0.993、札幌市で0.938、仙台市で0.824、東京都心で0.776、名古屋市で0.807、大阪市で0.818、福岡市で0.878、当時は連合国軍の占領下であったが那覇市では0.772となった。

礼文島における観測[編集]

礼文島では日本とアメリカによる合同観測が行われた。科学者1500名が集まった。金環帯が非常に細いため、観測に当たっては正確な計算が必要だった。当日は直前まで曇っていたが、金環日食の直前に晴れ、観測に成功した。これを記念して、金環日食観測記念碑が礼文島内の金環帯からわずかに外れたところに建設された。