馬場昌房

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馬場 昌房(ばば まさふさ、? - 天正10年(1582年3月[1])は、戦国時代武将甲斐武田家家臣。姉妹に娘(鳥居元忠室)、娘(真田信尹室)。

生涯[編集]

父は馬場信春で嫡子[1][2]。官途は民部少輔[1][2]。受領名は美濃[1]

生年に関しては天文7年(1538年)とも天文12年(1543年)とも伝わる[2]。諱に関しては父同様に信忠・信光、そして父と同じ信春と所伝がある[2]

天正3年(1575年)の長篠の戦いで信春が戦死したため、翌年に武田勝頼の命令で父の同心衆を継承して信濃牧之島城代として在城した[1][2]。天正10年(1582年)の織田信長による武田征伐では信濃深志城を守備していたが織田軍に攻められて開城した[1]。その後、織田軍により捕縛されて処刑された[1]。一説に4月に牧之島城で戦死とも伝わる[2]。享年は40か45[2]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g 柴辻俊六・平山優 『武田勝頼のすべて』新人物往来社、2007年、P233
  2. a b c d e f g 柴辻俊六 『武田信玄大事典』新人物往来社、2000年、P75

参考文献[編集]

  • 柴辻俊六平山優 『武田勝頼のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03424-3
  • 柴辻俊六 編 『武田信玄大事典』(新人物往来社、2000年)ISBN 4-404-02874-1