飛騨小島城
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飛騨小島城(ひだこじまじょう)とは、現在の岐阜県飛騨市古川町杉崎にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
南北朝時代に飛騨国の国司であった姉小路頼鑑が築城したといわれる。姉小路氏は南朝から飛騨国司に任命されて南朝方として北朝と戦ったが、応永18年([[1411年])に第4代国司であった姉小路尹綱は足利義持の命令を受けた室町幕府軍に攻められて落城し、尹綱は敗死した。以後、姉小路氏は姉小路家綱、そしてその孫・姉小路基綱と続き、基綱が再び飛騨国司に任命されて小島城主となった。以後、姉小路清継、姉小路清俊、姉小路高綱と続き、大永年間(1521年 - 1528年)に姉小路氏の一族である小島氏の居城となり、小島氏は城の縄張りを拡張して洞山山頂に本丸を移した。
以後、小島氏は5代にわたって続いたが、5代目の小島時光は天正10年(1582年)に高原諏訪城を落とすなど勢力を拡大したが、天正13年(1585年)に豊臣秀吉の命令を受けた金森長近によって攻められ、小島城は落城し、同時に廃城とされた。
現在は岐阜県の史跡に指定されている。