顧譚
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顧 譚(こ たん、生没年不詳)は、中国の三国時代の呉の武将。字は子黙(しもく)[1]。祖父は顧雍。父は顧邵。弟は顧承。従父は陸遜。
生涯[編集]
20歳前後の時に諸葛恪・張休・陳表と共に孫登の側近となる[1]。帳簿の検査では算盤を使わず指の暗算で間違いを見つけることができた[1]。243年に祖父が死去すると平尚書事となる[1]。二宮の変では孫和を支持し、孫覇派の全奇と不仲だったことから対立し、魏との戦いにおける恩賞問題などを全奇とその父の全琮により孫権に讒訴されて交州へ流罪とされる[1]。配流先で『新言』という著作を20篇も著したが、2年後に42歳で死去[1]。
『三国志演義』には登場しない。