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顧承
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顧 承(こ しょう、生没年不詳)は、三国時代の呉の武将。字は子直(しちょく)[1]。祖父は顧雍。父は顧邵。兄は顧譚。妻は張温の妹。
生涯[編集]
232年から238年の間に孫権に召されて騎都尉となり近衛兵を指揮する[1]。後に呉郡西部都尉となり、諸葛恪と共に山越族を討伐して平定し、精鋭8000人を得た[1]。侍中となって魏との戦いで活躍して奮威将軍に昇進し、さらに京下都督となる[1]。
二宮の変では兄と同じ孫和派に属したと思われ、そのため兄と共に孫覇派の全琮・全奇により孫権に讒訴されて兄や張休と共に交州へ流罪となり、そのまま37歳で死去した[1]。
『三国志演義』には登場しない。
脚注[編集]
- ↑ 以下の位置に戻る: a b c d e 小出『三国志武将事典』P327