陳表
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陳 表(ちん ひょう、204年) - 237年)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての呉の武将。字は文奥(ぶんおう)[1]。父は陳武。子は陳敖。義兄は陳修。甥は陳延・陳永。
生涯[編集]
陳武の妾腹の子、すなわち庶子で、若い頃から名を知られ、諸葛恪・張休・顧譚とともに皇太子である孫登の四友となった[1]。太子中庶子となり、234年には新安都尉として諸葛恪と共に山越族を討伐し、3年間で多くの内乱を鎮圧して1万人の山越兵を得た[1]。帰途でも呉遽の反乱を鎮圧し、陸遜の推挙で偏将軍に昇進するなど将来を嘱望されるが、237年に34歳の若さで死去した[1]。陳表には余財が無く、妻子が路頭に迷ったため、孫登は遺族のために家を建てたという[1]。
『三国志演義』には登場しない。