孫覇
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孫 覇(そん は、225年 - 250年)は、中国の三国時代の呉の皇族。字は子威(しい)[1]。
生涯[編集]
父は孫権で4男。兄に孫登、孫慮、孫和。弟は孫奮、孫休、孫亮。子は孫基・孫壱。妻は劉基の娘。
幼少時から聡明で孫権から可愛がられた。241年に長兄で皇太子であった孫登が早世し、242年1月に新しい皇太子に三兄の孫和が立てられた[1]。孫和と1歳違いの孫覇は同年の8月に魯王に立てられ、孫和と同じ宮殿に住むことを許され、待遇も同じにされた[2]。このため重臣が二つに分裂して孫権の後継をめぐる内紛に発展した(二宮事件)。孫権は詔勅を下して孫和や孫覇の下に人々が往来することを禁じて学問に努めるように命じたが、既に老耄だった孫権はそれから8年間もこの内紛劇を先送りにした[3][4]。
250年になってようやく孫権は内紛の解決を図ったが、騒動の責任を問う形で孫覇には自殺を命じた[4]。享年26。