開封
開封(かいほう、カイフォン)とは、中華人民共和国の華北地区の河南省中部に存在する商業都市である。鄭州の東60キロに位置し、黄河中流の南岸、標高75メートルに位置する。人口は2000年の時点で56万9000人。日本の埼玉県戸田市と姉妹都市提携を結んでいる。開封とは「辺境の開拓地」を意味する。
概要[編集]
紀元前770年に春秋時代の鄭国が築いたのが起源であるとされている。黄河に近い交通の要衝として当時から華北の政治、経済、文化の中心を成す都市として栄えた。春秋時代から戦国時代の魏が成立した際、同国の首都に定められて名も大梁(だいりょう)と名付けられている。隋の時代に煬帝が大運河工事を行なって交通の利便化が図られると、物流の拠点として同地はさらに重要性を増した。五代十国時代になると、後梁・後晋・後漢・後周ら五代のうち、4代の王朝の首都に定められた。趙匡胤(太祖)が北宋を建国すると、同王朝の首都に定められて名も汴京(べんけい)となり、以後160年にわたって北宋の首都として繁栄を遂げた。1126年に金に攻略されて北宋は滅び(靖康の変)、同地は金の支配下に入る。後にその金もチンギス・ハーン率いるモンゴル帝国軍に圧迫されて1214年にこの地に遷都するが、チンギスの跡を継いだ3男・オゴデイの時代である1233年にモンゴル帝国の攻撃を受けて数十万に及ぶ犠牲者を出した末に陥落したと伝えられている。
1949年に市に昇格し、1954年まで河南省の省都になっていたが、その後は鄭州にその地位を譲ることになった。北宋の首都であった経緯から「中国六大古都」のひとつに定められ、1982年には歴史文化都市に指定された。合計して7つの王朝の首都になり、開封寺塔(八角13層の鉄塔)など史跡も多い。
現在は軽工業が発達し、汴繍と呼ばれる刺繍織物が産出されている。