里見軍記
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概要[編集]
室町時代中期から江戸時代前期まで安房国で勢威を振るった里見氏に関する軍記である。全1巻。別称を『里見軍談記』(さとみぐんだんき)、『里見記』(さとみき)。
巻末の末尾に「寛永8年(1631年)5月中旬に浪人の山田某が筆記した」とあり、その奥に別筆で「山田遠江介」とあるので、成立年代と著者はこれを信じるしかないと思われる。なお、著者はわざわざこの軍記を書いた動機を記しており、それによると『北条五代記』などにより後北条氏にバイアスを置かれた記録が出回り、里見氏に不利に記録されたり、誤りが多いことを嘆いて、真実を示して里見氏の高徳を世に示すため、としている。
内容については永享の乱で鎌倉公方の足利持氏が足利義教によって滅ぼされたところから始まり、里見氏がその中で安房に勢力を確立していくことを描いている。戦国時代の里見義堯が北条氏康らと激戦を繰り広げたこと、織豊政権から江戸幕府へと移り変わる時代における里見氏の事績などを描いている。最後は里見忠義が大久保長安事件に連座して改易され、伯耆国に流されて没したところで里見氏は断絶となり、終了している。
里見氏にバイアスを置いているため、里見氏の当主・里見義弘を名君と評したりしている。ただ、小田原征伐の際に里見義康が遅参して上総国を没収したのが豊臣秀吉ではなく徳川家康にされているなど、里見氏に関する真実を書き残すためと動機を書いている割には、誤りがよく目立つ。