郡 (日本)
郡とは、日本において、古代から現在に至るまで存在した地域区分呼称。一時は、行政区分名称として用いられた。
概要[編集]
旧国の下位の階層で、現代の市、あるいはもう少し上の階層に相当する。大正時代に、行政区分としては廃止されたが、それ以前に、人口の希薄な北海道では、明治末期に早くも郡の概念が希薄化し、現在の振興局の前身の支庁単位の行政上の区画が定着した。
長年続いた行政区分だけあって、例えば、兵庫県の八部郡、兎原郡、有馬郡、美嚢郡、明石郡の町村が合併してできた神戸市で、旧有馬、美嚢、明石郡地域は、市内他地域より三田、三木、明石の各市との繋がりの方が現在でも深いように、郡という単位で共通の文化圏を形成していると言える地域や、旧郡域の市町村単位で一部事務組合を設置している自治体が多い一方、三重県度会郡のように交通事情の変化で郡単位での地域の一体的なつながりが希薄な地域もある。
なお、昭和、平成の大合併では、旧郡単位で合併して一つの市町村となった所も多くみられる(兵庫県宍粟市、朝来市、養父市、佐用町、富山県氷見市、千葉県市原市など)一方、郡界を異にすることが壁になった例もある(名張市への合併が実現しなかった三重県旧一志郡美杉村太郎生地区など)。
沿革[編集]
古代に、令制国の下に置かれた行政区分以来続いているが、律令制における公領制から私領制に移行するにつれ、行政組織としては希薄化した。しかし、幕藩体制下での領地は郡が基準となることが多く、事実上の行政区画として機能した。
明治以前も人口の増えた郡は分裂することもあったが、明治になり、1878年の郡区町村編制法で郡の再編が行われ、小さな郡が合併したり、面積の広大な郡が分割されたりして、多くの郡は人口10万人前後の規模となった。これは、廃藩置県後に統合された小藩の領地に相当し、小支配機構である郡役所が府県の下に置かれた。
一方で、市が郡から離脱することとなった。当時の市は、大規模の商業都市や大身大名の城下町に限られていたので、日本の殆どの土地が郡に属していた。
大正時代に郡制廃止。郡制廃止に伴い郡管轄の学校等のインフラの大半が府県に移管された。その後、太平洋戦争中に各府県に1または複数郡を管轄する地方事務所が置かれ、事実上郡役所が復活したが、戦後は、一部の県で地方事務所が部署毎に縦割りになっている。なお、戦後直後にはアメリカの郡警察をモデルとした1または複数郡を管轄する国家地方警察の地区警察署が置かれていた。
郡に属する地域は、1950年代、2000年代の市町村合併により多くの町村が市に昇格したため、その面積は少なくなっている。
その他[編集]
明治期以降に分割された郡は東西南北、上中下といった文字が先頭に来るが、江戸期以前に分割された郡(例:播磨国の加西郡、加東郡、相模国の足柄上郡、足柄下郡、阿波国の名西郡、名東郡)は郡のすぐ前に東西南北、上下といった文字が入る傾向がある。