軍艦島

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軍艦に似た外観

軍艦島(ぐんかんじま)とは、日本長崎県長崎市に存在する世界文化遺産の島である。正式名は端島という。

概要[編集]

長崎港から約18キロ南西にある面積約6.5ヘクタールの長崎市が所有する無人島である。明治時代から石炭の本格的な採掘が始まり、良質な石炭を産出する海底炭鉱として栄えた。作業員らの家族向けの高層住宅や学校などが建てられ、これを波浪から守るための防波堤が建設されて軍艦に似た外観になった。最盛期には島の人口は5000人以上に達し、人口密度は日本一となった。しかし、採算性の悪化と国のエネルギー政策転換により石炭の需要が落ち込み、1974年に炭鉱が閉山されると無人島となった。

名称[編集]

軍艦島の愛称であるが、日本初の鉄筋コンクリート造りの集合住宅が大正5年(1916年12月31日に完成したのがこの島で、狭い島に炭鉱作業員の住居を確保するためであり、当初は4階、後に7階建てに増築されて140戸を収容した。島内には学校や娯楽施設も設置された。数多くの高層住宅が林立する姿が軍艦に似ていることから軍艦島と名付けられたという。

学校[編集]

島内には当初、社立の小学校が存在したが、1921年に高島町立に移管し、高島町立端島尋常小学校となった。太平洋戦争後の学制改革高島町立端島小中学校となった。1958年には鉄筋コンクリート6階建ての校舎が完成、後に鉄骨造りの7階も完成し、当時日本最高層の小中学校となった。1970年学校給食が開始され、島内唯一の産業用ではないエレベーターが設置された。[1]

世界文化遺産[編集]

平成27年(2015年7月に「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産の登録が決定した。なお、太平洋戦争中に戦時重用された朝鮮半島出身者の強制労働の有無をめぐり、日本と韓国の間で争いが続いて

外観上の特徴[編集]

南北に約480メートルと細長い形状で、戦艦大和の全長約263メートルと比較すると、およそ1.8倍である。

太平洋戦争末期の1945年6月11日にはアメリカの潜水艦「ティランテ」が石炭運搬船白寿丸に魚雷攻撃を行い、これを沈めた。[2]。潜水艦は逃走を図ったがうまく潜航できず、対岸から高射砲による攻撃を行ったが、弾丸が届かなかった。

ちなみにどの戦艦に似ていたのかは、加賀型戦艦2番艦「土佐 (軍艦)」とされている[3]

現状[編集]

長らく上陸禁止だったが、観光用として長崎市が上陸できるように整備した。島への公共交通機関はなく、ツアーに参加する形で上陸できる。ただし、悪天候により上陸できない日がある。鉄筋コンクリートの建物は崩落しているところがあり、危険なので立ち入り禁止区域がある。観光用に上陸できるように新たに桟橋が建設された。

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. 石炭採掘用のエレベーターは以前から存在した。
  2. ティランテ_(潜水艦)#第2の哨戒_1945年5月_-_7月”. ウィキペディア. 2019年9月28日確認。
  3. 加賀型戦艦#土佐”. ウィキペディア. 2019年9月28日確認。

外部リンク[編集]