角松敏生

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角松 敏生(かどまつ としき、1960年8月12日 - )は、シンガーソングライターミュージシャン音楽プロデューサー

プロフィール[編集]

概要[編集]

日本大学鶴ヶ丘高等学校を経て、日本大学文理学部哲学科卒業。

トライアングルプロダクション、マーマレードを経て、ビーンズ ⁄ エメラルドスプラッシュに所属。

1981年にプロデビュー。

人物[編集]

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ディスコグラフィー[編集]

詳細は「角松敏生の作品一覧」を参照

プロデュース活動、楽曲提供等[編集]

詳細は「角松敏生の作品一覧」を参照

バンドメンバー[編集]

  • 2020年現在の主要なメンバー(公演により変動あり)

エピソード[編集]

  • 2002年には、プロ野球中日ドラゴンズで、選手登場テーマとして楽曲が使用された。投手の登板に「GALAXY GIRL」、代打のテーマに「TIME TUNNEL」「AIRPORT LADY」が使われた。
  • 以前はスキューバーダイビングを趣味としていたが、現在は辞めている。今では古代史、世界の宗教史、民俗学的なものにも興味をもっている。スキーの板を新調するかギターを新調するか迷っていた事もある、とのエピソードもあるが、ウインタースポーツは、観戦専門である。
  • 以前の愛車のジャガー(デイムラーV8)はすでに手放している。それまでは3台程日産車を乗り継いでいた。
  • 小室哲哉が活動初期の短期間、角松のバンドでキーボードを担当した経験がある。
  • 長万部太郎という変名は、角松が由利徹のファンであったため、彼の持ちギャグ「オシャ、マンベ」からとられた[1]
  • テイチクレコードでデュオとしてデビューするプランがあったが、RVCよりソロデビューを果たす[2]
  • 80年代シティ・ポップの代表的人物として語られることも多いが、本人はシティポップと言われることを嫌っている[3]

影響を受けた楽曲[編集]

デビュー以前[編集]

B・J・トーマス雨にぬれても
洋楽ポップスとの出会いは幼稚園時代。その当時、自身から心惹かれた初めての曲である。自身の音楽の基本のR&Bやジャズを咀嚼してオリジナリティーのあるものを作るという、バカラック的なアプローチも含まれコード展開や転調のしかたとかも参考にしたと語っている。
ビートルズヘイ・ジュード
小学4年生当時、テレビドラマか何かの主題歌でオーケストラ版の「Hey Jude」を聴いてすごく気に入り、兄からビートルズの曲だと教わりシングル盤を購入。それを聞いてさらに衝撃を受け小学5年生からギターを始め、当時はビートルズのコピーばかりをしていた。ギターを持って人前で歌うきっかけになったのはビートルズだった。
シュガー・ベイブ「今日はなんだか」
アルバム『SONGS』(1975年)は擦り切れるほど聴き、当時思春期の自分と相まって、いろんな風景が浮かぶと語っている。高校生までは3コード進行のロックはコピーできても、シュガー・ベイブの様なテンションコードがある曲はぜんぜん追いつかなかったが、しばらく経ってコピーできるようになり、当時良く演奏していたのがこの曲だった。
鈴木茂「砂の女」(作詞:松本隆、作曲・編曲:鈴木茂)
アルバム『BAND WAGON』(1975年)収録。はっぴいえんどが解散して、鈴木のソロが「どんなもんだろう?」と思い聴いてみると、はっぴいえんどの音とは全く違う感じで「これはこれでいいものなのか? 僕はかっこいいと思うんだけど、どうなんだろう?」と思い、当時ディープ・パープルや四人囃子のコピーをやっていた友人に聴かせたら「これかっこいいよ!」といわれ、自分は間違っていなかったんだと語っている。
南佳孝「プールサイド」(作詞:来生えつ子、作曲:南佳孝、編曲:坂本龍一
アルバム『SOUTH OF THE BORDER』(1978年)収録。角松自身、南佳孝こそシティーポップと呼ばれた最初期のアーティストだと語っている。詞の世界が大人であり、当時高校生だった自分には絶対手の届かない世界だと思った。音の世界観と詞の世界観は、思春期の自身を早く大人にさせたんじゃないかなと語っている。

デビュー以後[編集]

佐藤博「YOU'RE MY BABY」(作詞・作曲・編曲:佐藤博)
アルバム『awakening』(1982年)収録。自身のデビュー後に聴いた作品。すごく洗練されており、こういう作品を出されたら追従できないなと思わされるほど、素晴らしい作品だと語っている。自身もこういう事ができないかなと思わせる程であり、コードに対してのボキャブラリーとか、メロディーに対してのボキャブラリーとか、まだまだ20歳そこそこの自分には乏しくて、真似しようとしてもできなかったと語っている。
Steely DanAja
このアルバムを初めて聴いた時に衝撃を受け、音楽的に高度なところや、こうあるべきみたいな作り方だとか、挑戦であるとか、新しさであるとか音楽の一番大事なところを集めたアルバムであり、かなり勉強になったと語っている。
Earth, Wind & Fire「After the Love Has Gone」
同曲はEarth, Wind & Fireがデイヴィッド・フォスターと組んだ最初の楽曲であり、急激に空気感がソフィスティケイトされ、夏の夕方とか聴くと、最高に気持ちが良いと語っている。
Christopher CrossSailing
この曲が収録されているアルバムがバカ売れしてディスコで良くかかるようになったときに、AORは到達点を迎えたと思ったという。
Luther Vandross「Sugar and Spice (I Found Me a Girl)」
当時この曲を聴きかなり打ちのめされ、自身にとってはまだ遠い世界に感じ、いつかこういう世界をやってみたいと思わせたと同時に、彼の醸し出すような世界観はニューヨークの空気感を知らなければならないと強く感じ、渡米する(84年からニューヨークへ住む)きっかけとなったと語っている。

書籍[編集]

  • 角松敏生ベスト・ソングス(プレイ・オン・ザ・ピアノ)ピアノ弾き語り (1993年12月) ドレミ楽譜出版社
  • 角松敏生-Exceed Press Pop Culture Series- (1999年3月) エクシードプレス
  • モノローグ (1999年3月) 毎日新聞社
  • 角松敏生作品集〜バラード・コレクション〜ピアノ弾き語り (2001年3月) 東京音楽書院
  • 角松敏生81-01……Thousand day of yesterdays (2001年6月) シンコー・ミュージック
  • 角松敏生 〜the 35th Anniversary Special Edition〜 前田 祥丈(著)、 金澤 寿和(著) (2016年7月) ラトルズ
  • 角松敏生「NO END TALK」完全版 (SAN-EI MOOK) (2016年7月) 三栄書房

ラジオ・雑誌連載[編集]

テレビ出演[編集]

受賞歴[編集]

脚注[編集]

  1. 「作家で聴く音楽」 角松敏生日本音楽著作権協会。 - 2019年2月17日閲覧。
  2. 藤田浩一のほうもデュオを考えていた。想定されていた相方は、元レイジー井上俊次。角松はソロでやらしてくれるほうに行こうと考え、結果RVCからのソロデビューになる。(書籍『角松敏生81-01……Thousand day of yesterdays』より)なお、テイチクレコードのプランはメンバーチェンジし、82年デビューの「STEP」として結実する
  3. レコードコレクターズ増刊シティ・ポップ1973-2019
  4. 角松自身のCM出演は前にも後にもユニマットが唯一である。

外部リンク[編集]