蔵王藩

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蔵王藩(ざおうはん)とは、江戸時代前期のわずかな期間だけ越後国古志郡に存在したである。藩主家は外様大名堀氏。藩庁は蔵王城。現在の新潟県長岡市に存在した。蔵王堂藩(ざおうどうはん)とも言われる。

概要[編集]

慶長3年(1598年)、堀秀治が越後国春日山城主に入った際、弟の親良は蔵王城主に任命されて3万石を与えられた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦後、所領安堵を受けて蔵王藩が立藩する。慶長7年(1602年)、親良は一族で長老の堀直政と対立し、これにより後継者である甥の鶴千代に1万8000石の所領と藩主の座を譲って自らは1万2000石の隠居料と共に京都に隠棲してしまった。慶長11年(1606年)、親良は第2代征夷大将軍徳川秀忠により蔵米1万2000俵を与えられることになり、そのため越後退転の際の1万2000石を鶴千代に返還した。

ところが同年、鶴千代が夭折してしまう。継嗣が無かったため、蔵王藩堀家は無嗣子で改易となり、蔵王藩は廃藩となった。

後に親良は下野国真岡藩主として復帰を果たしている。

歴代藩主[編集]

堀家

外様。3万石

  1. 親良(ちかよし)
  2. 鶴千代(つるちよ)