羽豆城
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羽豆城(はずじょう)とは、愛知県知多郡南知多町師崎にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
南北朝時代に熱田大神宮の大宮司である千秋秀氏が築城し、その子の千秋昌能の時代から居城となった。当時、熱田大神宮の大宮司は尾張国における南朝の中心勢力で、この城を中心にして活躍したという。
『太平記』によると、新田義貞の弟である脇屋義助が足利尊氏らに敗れて根尾城から73名の郎党を引き連れて落ち延びてきた際、この城にしばらく滞在してから吉野に向かっている。『信濃宮伝』によると後醍醐天皇の皇子である宗良親王が信濃から尾張国犬山を経てこの城に立ち寄ってから、吉野に向かったという。
この城は知多半島の南端に位置し、海上の便に恵まれていたことから、伊勢国の国司である北畠親房と連絡を通じて吉野と通じており、物資の輸送などでも重要な役割を果たしていたと推測されている。戦国時代の永禄3年(1560年)5月の桶狭間の戦いの際には千秋季忠が城主であり、織田信長に属していたが、今川義元に攻められて戦死し、この時に城も廃城となった。
現在は城跡を示す石碑のみしか存在しない。