羽田雄一郎

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羽田 雄一郎(はた ゆういちろう、1967年昭和42年〉7月29日 - 2020年令和2年〉12月27日)は、日本政治家。学位は学士(文学)玉川大学1992年)。参議院議員(5期)、国土交通大臣(第17代)、参議院国土交通委員長、参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長民主党参議院国会対策委員長、同幹事長代行、同参議院幹事長民進党参議院幹事長、立憲民主党参議院幹事長などを歴任した。祖父は農林政務次官などを歴任した羽田武嗣郎、父は内閣総理大臣などを歴任した羽田孜で雄一郎はその長男である。

来歴[編集]

東京都世田谷区生まれ。成城学園中学校敬和学園高等学校、そして平成4年(1992年)に玉川大学文学部芸術学科児童専修課程を卒業。大学卒業後は伊藤忠記念財団に勤務するが、やがて父・羽田孜の第1秘書となる。

平成11年(1999年)の村沢牧の死去に伴う参議院長野県選挙区補欠選挙で民主党公認で初当選を果たす。以後、当選5回を果たした。参院国土交通委員長、旧民主党参院国対委員長などを歴任し、平成24年(2012年6月に発足した第2次野田佳彦内閣国土交通大臣として初入閣を果たし、国土交通大臣として旧民主党政権で一時的に事実上凍結とされていた北海道北陸九州長崎ルートの整備新幹線3区間の着工を認可し、事業再開が決まった群馬県八ツ場ダムの着工に向けた調整にも尽力した。第3次野田佳彦改造内閣でも国交大臣として留任する。

民進党、旧国民民主党を経て、令和2年(2020年)9月に旧立憲民主党と旧国民民主党が合流して誕生した新しい立憲民主党に参加し、参議院幹事長に就任する。

死去する2、3日前から発熱など体調に異変が生じたため、12月27日午後に東京都内の病院で新型コロナウイルスPCR検査を受ける予定だったが、病院に向かう途中で容態が急変し、搬送先の病院において急死した。53歳没。3年前に死去した父・羽田孜の後を追うような死去であった。

死亡後に新型コロナウイルス陽性であることが判明。羽田は持病を抱えており、それが急死に繋がった可能性がある。日本の国会議員が新型コロナウイルスで死亡した最初の事例であった。

2021年4月に羽田の死去に伴う補欠選挙が行われ、後継候補で実弟の羽田次郎が初当選を果たした。

所属団体・議員連盟[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]