稲葉刑部少輔

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稲葉 刑部少輔(いなば ぎょうぶのしょう、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将織田家、後に羽柴氏の家臣。

生涯[編集]

稲葉一鉄の兄・稲葉通明の子で、稲葉一鉄の甥、稲葉貞通の従兄に当たる。父は大永5年(1525年)に牧田の戦い戦死しており、稲葉家の家督は叔父の一鉄が継承している。

甫庵信長記』によると、織田信長に仕え、元亀元年(1570年)6月28日の姉川の戦いで参戦して奮戦したという。『信長公記』によると、天正8年(1580年)閏3月に信長から馬廻に列せられ、同時に屋敷地を与えられている。天正9年(1581年)10月5日には、信長から知行を与えられている。天正10年(1582年)4月、叔父の一鉄が武田征伐の際、北信飯山城において一揆に囲まれた際には、一族として出陣して救い出した。

同年6月の本能寺の変で信長が死去し、その後は清州会議を経て新たな美濃国主となった織田信孝に仕えるが、信孝が羽柴秀吉と対立すると信孝から離反し、秀吉に仕えている(『勢州軍記』)。