勢州軍記

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勢州軍記(せいしゅうぐんき)とは、戦国時代伊勢(勢州)の出来事をまとめた軍記物である。全2巻12節。

概要[編集]

著者は神戸良政といい、織田信長の時代に北伊勢の神戸城主・神戸具盛の末子・高島政光の子・神戸政房の子である。神戸具盛は信長と争い、和睦条件として信長の3男・神戸信孝養子に迎えたことで知られている。

この軍記は江戸時代前期の寛永年間(1624年 - 1644年)に完成したという。ただ、成立した過程が良政の父・政房が残した記録や地元の古老などから聞き取りをして、それを原本にしてまとめたいわゆる編纂史料であり、Wikipediaでは「史料的価値は比較的高いと考えられている」などと無責任な説明がなされているが、実際には編纂史料の限界ともいうべきか、かなり信頼性の怪しい記述が多く、むしろ信頼性は乏しいと見ざるを得ない。ただ、戦国時代における伊勢の情勢を語る記録がこの『勢州軍記』以外にはほとんど存在しないため、この史料を現在の所は依拠せざるを得ない状況となっている。

この史料が間違っているものとしては多くあるが、一般にわかりやすい間違いを語ると、信長が稲葉山城を攻略したのを永禄7年(1564年)としていることである。稲葉山城攻略は永禄10年(1567年)であり、このあたりの時系列がかなり出鱈目になっている。

ただ、信長関係の伊勢情勢についてはこの『勢州軍記』を頼りにせざるを得ない。『信長公記』になぜか伊勢攻めに関する記録が無いからである。なお、『勢州軍記』を基にして『勢州兵乱記』『勢州四家記』『北畠物語』などの類本も生まれている。

外部リンク[編集]