禰々
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禰々(ねね、享禄元年(1528年)[1] - 天文12年1月19日[1](1543年2月22日))は、戦国時代の女性。諏訪頼重の正室(継室)。
生涯[編集]
『諏訪神使御頭之日記』では天文9年(1540年)11月晦日、信虎の命令で諏訪頼重に嫁いだ。
頼重は前に麻績夫人を迎えていたがこの頃には死去していたため、禰々は継室になる[2]。12月9日に頼重が甲府へ婿入りする[2]。12月17日には信虎が婿を訪ねて諏訪入りした[2]。この結婚に伴い、麻績夫人との間に生まれていた諏訪御料人が甲府に人質として赴いている[2]。
『守矢頼真書留』によると頼重と禰々の間には天文11年(1542年)4月14日に嫡子の寅王が生まれている。
しかし天文10年(1541年)に信虎が駿河に追放されて晴信(信玄)に代替わりすると、晴信と頼重は対立関係になる。天文11年(1542年)7月、桑原城の戦いで頼重が晴信に敗れて降伏する。晴信は妹婿として頼重を助命すると約束して甲府に護送したが、やがて破棄して頼重を自害させた。それを知った禰々は翌年に狂乱の内に死去した[2]。16歳[1]の若さだったという。
法名は玉芳妙貴大禅定尼[1]。