麻績夫人

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麻績夫人(おみふじん、? - 天正10年3月11日1582年4月3日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性武田勝頼の外祖母に当たる。

生涯[編集]

諏訪頼重側室で、武田信玄の側室となった諏訪御料人の生母に当たる。大方、あるいは太方(おだいぼう)様と称された。頼重との間の娘・諏訪御料人が信玄の側室となって勝頼を生んだため、武田家に扶助されていた。

永禄8年(1565年)3月21日、孫の勝頼によって逆修が営まれている。天正3年(1575年)11月に勝頼が諏訪南宮に奉納した棟札に武田信勝と並んで御祖母と見える。なお、年次不明だが8月9日に甲府を訪れ、勝頼が藤沢まで送ったという記録もある。彼女は勝頼の祖母として武田家に関与しているのが多く確認されている。

信長公記』によると、織田信長武田征伐の際、勝頼に従って田野において自殺したという。ただ、公記には「勝頼の伯母大方」とあるため、彼女かどうか確認が今一つ難しい。