盧泰愚
盧 泰愚(ノ・テウ、韓国語:노태우、 1932年12月4日 - 2021年10月26日[1])は、大韓民国の軍人、政治家。第13代大統領(在任: 1988年 - 1993年)。同国最後の軍人出身の大統領。ハナフェ[2]の一員。祖籍は山東省、本貫は、交河盧氏。号は「庸堂」(ヨンダン、용당)。
略歴[編集]
現在の大邱広域市出身。陸軍士官学校卒業。1979年10月に朴正煕大統領が暗殺されると、自らと士官学校で同期の全斗煥の粛軍クーデターに参加し、成功して政権を掌握した全の片腕として重用され、軍保安司令官に就任した。
1985年に国会議員に初当選し、1987年6月に大統領直接選挙制の導入を受け入れる民主化宣言を行い、その後は与党・民正党の総裁に就任し、12月の大統領選挙で当選する。1988年2月に正式に大統領に就任すると、同年のソウル五輪成功に貢献した。そして、これを契機にして共産圏との関係改善を進める北方外交を展開し、1990年にソ連、1992年に中国と国交を樹立し、1991年9月に北朝鮮と同時に国連に加盟を果たした。日本に対しては天皇の訪韓を推し進めようとするも、実現しなかった。
北朝鮮とは1991年12月に「南北間の和解と不可侵および交流・協力に関する合意書」と「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」に署名し、これは金大中の太陽政策に継承された北朝鮮との平和共存路線の端緒となった。また、全斗煥が進めた言論統廃合を見直して、民放再解禁を打ち出し、1991年にソウル放送(現・SBS)が開局。これは、金大中の「日本の大衆文化解禁」政策の端緒となった。
1993年2月に大統領を退任するが、金泳三政権の歴史の正しい立て直し政策により、1995年11月に秘密政治資金に絡む収賄容疑で逮捕され、さらに過去の1980年の光州事件などにおける全斗煥との反乱・内乱罪にも問われて、懲役17年の実刑判決が確定して服役するが、1997年12月に金泳三が特赦を発表して釈放の身となり、以後は政治と距離を置くようになる。
晩年は小脳萎縮症などの持病で闘病生活を長年続けており、2021年10月26日午後に88歳で死去した。