狩野健太

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サッカーボール.jpg 狩野健太
選手情報
本名 狩野健太
英字表記 Kenta Kano
生年月日 1986年5月2日(38歳)
出身地 日本静岡県
身長 177 cm
体重 70 kg
ポジション ミッドフィールダー
クラブチーム
2005-2012
2013-2015
2016-2017
2018-2019
横浜F・マリノス
柏レイソル
川崎フロンターレ
徳島ヴォルティス
サッカーボール.jpg
28
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狩野健太(かのう けんた、1986年5月2日 - )は日本サッカー選手。

人物・エピソード[編集]

1993年Jリーグ開幕節に感銘を受けてサッカーを始めた[1]

静岡学園高校から2005年に横浜F・マリノスに入団し、プロ入りした。プロ入り時には出身地にある清水エスパルスなど複数クラブから入団の誘いを受けたが、最終的に横浜FMを選択した。当時の監督であった岡田武史が、狩野の才能を評価したとされている。

プロ2年目の2006年からはある程度試合に出場したものの、レギュラーを獲得するまでには至らなかった。そうした状況が変わったのは2008年であった。この年、横浜FMはJ1残留争いに巻き込まれ、桑原隆から木村浩吉へ監督が交代した。木村は狩野を抜擢すると、狩野はそれにこたえる活躍を見せ、残留争いから脱出する原動力になった。

2007年12月放送、テレビ神奈川キックオフ!!F・マリノス番組内の中澤サンタという企画にて、当時同チームだった乾貴士と共にクリスマスツリーの格好で登場した。

2008年9月27日の大分トリニータ戦を皮切りに、狩野が降格圏をさまようマリノスを救い得た要因として、豊富な練習量が挙げられる。中澤佑二のブログで、中澤が帰途についていた時にグラウンドで黙々とボールを蹴っている狩野を発見。居残り練習に励んでいたエピソードを紹介している。

2008年度は夏場まで怪我で欠場が続いていたが、「自分にプレッシャーを掛けたかった」という理由で髪を金髪に染め、それ以降ブレイクにつながった。2009年シーズン開幕前にも4時間かけて髪を染め直した。

マリノスの先輩のFW坂田大輔と仲が良いらしい。いつも同じ美容院に一緒に行っているが、狩野は髪を染めることが多く先輩の坂田を頻繁に待たせているというエピソードをスカパーに狩野が生出演した際に坂田が映像コメントしていた。このように髪を染めている狩野だがチームメイトの小林祐三と食事に行くと「異色の髪コンビ」として浮いてしまうらしい。

2012年7月27日、確定していない移籍情報が知人のブログで掲載されたとして、3日間練習・試合への参加を見合わせることとなった[2]神奈川新聞によると知人のブログには「福岡に移籍する健太くんの壮行会」という記述と狩野の写真が掲載されていたという[3]

プレースタイル[編集]

いわゆる司令塔タイプではあるが、現代のトップ下らしくゴールへ向かう意識も強い。プレースキッカーとしては高校時代から優れていたが、プロ入り後は視野の広いパスに加え、ドリブルで相手を抜き去るプレーも見られるようになった。守備面でも、木村の就任以後、前線から相手をチェイシングし守備をする選手へと成長した。また身長の割にポストプレーが上手く、180cm台のDFに競り勝つ場面も観られる。木村監督にFKを徹底的に仕込まれたが中村俊輔の加入により能力の行き場を失ってしまった。夏場に弱いのが難点。

クラブチームの統計[編集]

年度 リーグ 試合 得点 試合 得点
横浜FM リーグ Jリーグ杯
2005 J1 29 1 0 0 0
2006 29 13 1 8 1
2007 14 18 0 4 1
2008 14 13 3 0 0
2009 14 28 4 9 1
2010 14 20 1 5 0
2011 14 10 0 3 0
2012 14 4 0 4 0
通算 107 9 33 3
リーグ Jリーグ杯
2013 J1 14 18 2 2 0
2014 14 13 1 2 0
2015 14 3 0 0 0
通算 34 3 4 0
川崎 リーグ Jリーグ杯
2016 J1 25 5 1 4 2
2017 25 2 0 2 0
通算 7 1 6 2
徳島 リーグ Jリーグ杯
2018 J2 41 17 1 -
2019 10 12 0 -
通算 29 1 0 0
総通算 177 14 43 5

出典[編集]

外部リンク[編集]